もう半世紀近くも昔になります。東京の府中市の「五藤光学研究所」の研磨工場に集まったのは、向かって右から東北大学の光学の専門家、吉田正太郎博士。中央が高知県に60cm反射望遠鏡を贈った五藤斉三氏。そして左端が関です。
工場で研磨された60cm反射望遠鏡のフーコーテストに立ち会ったのです。吉田博士は「まことに見事なパラボラ鏡に仕上がりました。これなら極限に近いどんな微光の彗星でも、恒星と分離して見せるでしょう。」と、自信のほどを強調しました。
事実こうして完成した60cm反射望遠鏡は、沢山の小惑星の発見や、周期彗星の検出に活躍しました。中でも1984年の秋の大ハレー彗星の発見は大事件で、”見えないものを見る”という私の特技と、鏡の優秀さが相まって成功したもので、生涯忘れられぬ事件となりました。この優秀な鏡の健在な限り、私は生涯「未知の星」を追いつづけたと思います。しかし時代の波に逆らえず、2000年代に入ってから、その目的にはそぐわない長焦点の暗い反射望遠鏡に変わって、私の観測生活は終焉を迎えました。
新しい成果はなくても、あたらしい望遠鏡では、彗星の精密位置や光度を測定して貢献しました。そうでなくても、今は多くの学童たちに星を見せ、星を教えて、望遠鏡を寄付した五藤さんの精神は立派に生かされていると思います。
闇の中で、独りで観測していると、今は亡き五藤さんの跫(あしおと)を聞くことがあります。そろそろ怪談の夏が近くなってきましたね。


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工場で研磨された60cm反射望遠鏡のフーコーテストに立ち会ったのです。吉田博士は「まことに見事なパラボラ鏡に仕上がりました。これなら極限に近いどんな微光の彗星でも、恒星と分離して見せるでしょう。」と、自信のほどを強調しました。
事実こうして完成した60cm反射望遠鏡は、沢山の小惑星の発見や、周期彗星の検出に活躍しました。中でも1984年の秋の大ハレー彗星の発見は大事件で、”見えないものを見る”という私の特技と、鏡の優秀さが相まって成功したもので、生涯忘れられぬ事件となりました。この優秀な鏡の健在な限り、私は生涯「未知の星」を追いつづけたと思います。しかし時代の波に逆らえず、2000年代に入ってから、その目的にはそぐわない長焦点の暗い反射望遠鏡に変わって、私の観測生活は終焉を迎えました。
新しい成果はなくても、あたらしい望遠鏡では、彗星の精密位置や光度を測定して貢献しました。そうでなくても、今は多くの学童たちに星を見せ、星を教えて、望遠鏡を寄付した五藤さんの精神は立派に生かされていると思います。
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