旧、「築城屋敷(つきやしき)町2丁目」の見事な石垣の塀である。この石垣の道は、昔は鏡川に面した草ぼうぼうの道だったが、宝永元年(1704年)御上の許可を得て、住民たちが石垣の塀のある家を建築して行ったものである。昔の職人たちの見事な技術による芸術的な美しい石垣が続いている。多角形の石と石との間隔には1mmの隙間もない。

 中でも立派な石垣の家に来た。門札には「山崎」とある。多くの若い人が都会に出て、今は空き家や、廃屋になった家も見られるが、この家には昔から住人がいた。時々顔を合わせる老人だった。あれは確か1948年の秋だったと思う。”日食彗星”と言う明るい彗星が明け方の空に突然出現して、話題になった。その時、築城屋敷町2丁目の山崎さんという方が、その目撃談を新聞に発表していた。ご本人は、市内の土佐女子中学校の、理科の先生と言う事であった。

 1961年になって「セキ彗星」が出現した時、山崎さんから電話がかかってきた。そして、ぜひ望遠鏡を覗かせてほしいという。”日食彗星”を観測したことも語っていた。しかし、不運にも間もなく逝去されたので、そのチャンスは永久に失われた。石垣のすぐ南側の長堤に立つと、東南の空に筆山が低く見えている。1948年の大彗星は筆山の上に20度の、長い尾を横たえて3等星の明るさで輝いていたという。

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