ここ高知市桂浜の砂は白くきれいである。太平洋の豪快な波が打ち寄せ、そして静かに引いていくと、後には砂たちが一つひとつ波に磨き上げられたように輝く。桂浜の砂の美しさは格別である。足摺岬に近い「大岐の浜」の砂もいい。しかし、よく県外に行ってみる砂の色は微妙に色も大きさも違っている。
 静岡県の沼津市の香貫山から見た駿河湾の千本松原の海岸は夢のように美しいが、近づいて見ると砂そのものは小さく、やや黄ばんで、特別に美しいと思わなかった。日本列島も場所によっては砂の色や大きさには特徴があるようである。

 太平洋戦争の末期、日本列島の東海岸から発射された風船爆弾は、沢山の砂袋を搭載していた。土佐和紙が如何に強靭と言えども、水素ガスを入れて1ヶ月近くも上空を旅すると水素ガスが漏れて、高度が下がって来る。風船の高度を一定に保つために、高度が下がり始めると、自動的に砂袋を投下していったのである。
 そこで敵が目を付けたのが、砂が一体どこの海岸で採集されたものであるか、という事であった。同じ砂のある海岸に風船爆弾の発射基地が存在すると考えたのである。日本に送り込まれたスパイたちによって、海岸の捜索が始まったのである。

 それは昭和19年の秋であった。関製紙工場では風船爆弾用の和紙をフル生産していた。工場長の父は、毎晩、作業が終わった遅くに、工場の中を点検するのが日課であった。その夜は近くの氏神様の秋のお祭りがあって、一家で出かけ、そのあと深夜に工場に入った。中学1年生だった私も父について入った。
 「おかしいな?鍵があいている」と父がつぶやいた。懐中電灯を持って工場の奥に入っていくと、父が急に立ち止まった。「勉、時計の音がしないか?」と聞く。真っ暗な工場の中は静寂そのもので、ブイーンと幽かな音を立てて唸る変圧器の音が、余計に不気味な場内の静寂を誘っているようであった。

 「時計の音なんか聞こえないよ」と私が言うと、父は「いや、確かに時計の音だ」と言って普段歩きなれている暗い工場の中を、モートルの置いてある場所に近づいていった。そして、「これはなんだ!!」と突然頓狂な声を挙げた。父の照らす懐中電灯の光の中に、奇妙な物体が浮かび上がったのである。

(東北の海岸に近い工場で組み立てられた発射前の風船爆弾)

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