暗い物置小屋の中に入って珍しい道具を見ていると、ふと時代が遠い昔に帰ったような気がした。私の足元に横たわっている奇妙な木製の道具を持ち上げてその先端を見ると、レンズの様なものが付いていた。それは丸い昔のメガネの玉らしかった。この時私は「ハッ」とした。(これはもしや製作途中の天体望遠鏡ではないだろうか!?)。望遠鏡の対物レンズに相当する先には、丸い輪郭の老眼鏡の玉らしいものがついている。しかし、片方の端にはアイピースらしきものが無い。(そうだ、伯父が作りかけた天体望遠鏡らしい)もしそうだとすると1910年に地球に帰還してきた話題のハレー彗星が目的ではなかったろうか?と考えた。
 何事も新しいものが好きだった伯父のことである。明治42年のハレー彗星騒ぎをだまって見逃すはずはない。きっと天体望遠鏡を自作して、挑戦したに違いない、と思った。傍らに木製の時代物のカメラの三脚もでてきた。

 1948年の「日食彗星」の時には私は高校生で、手持ちの単眼鏡を作って彗星に挑戦した。そして1949年になった今、今度は伯父の造りかけた天体望遠鏡を基本に、天体望遠鏡を設計し、製作に乗りだしたのである。当時は、”組み立てキット”の様な、便利なものは一切なく、レンズも売っていない。祖父の使い古しの老眼鏡や、虫眼鏡を利用して、チューブレスの奇妙な天体望遠鏡を自作した。対物レンズはシングルであるから色はつき放題である。口径を3cmくらいに絞って何とかシャープな映像を得た。
 昼間テストに眺めた遠くの鷲尾山の頂上の鳥居が、逆さに見えて驚いたが、とりあえず夜を待って、天体をのぞいてみることにした。「関琴堂式」の天体望遠鏡である。

 その頃太陽系最大の惑星「木星」が夕方東の空に低く見えていた。望遠鏡を中庭に立て、22時頃であったと思う。老眼鏡のレンズはそれを見事に捉えた。茶色の縞模様が幽かに見えた。そしてガリレオが発見したと言われる四大衛星が鮮やかに浮かんだのである。
 それは私と天体望遠鏡の永い付き合が始まった瞬間であった。既製の完璧な望遠鏡ではなく、廃物利用の老眼鏡と虫眼鏡の組み合わせで、これだけ見えたことは大きな感動だった。そして意義があった。その後、望遠鏡は次第に改良を重ね、性能の向上を図り、実際の天体の発見まで13年の歳月を要したが、貧しい中で忍耐の精神が、新発見への道を切り開いていったものと確信する。

(写真は”琴堂式天体望遠鏡”の完成図。このスタイルの望遠鏡は1965年の池谷・関
彗星の発見まで踏襲した)

望遠鏡写真


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