このところ毎日雨が降っています。天文家にとって一番嫌な季節です。
雲のあちら側には、夏の素晴らしい”天の川”が展開している筈です。しかし梅雨前線は次第に北上しており、7月早々からカラリと晴れる可能性が出てきました。もし梅雨明けとしたら、例年にない異常な早さです。そして夏の天の川は呼んでいます!

雨の降る日、古いアルバムを見ていたら、戦時中の珍しい写真が出てきま
した。その中に、今回のお話の中心になる大事な風景がありました。それは、戦時中「関製紙工場」が製作した和紙を出荷している写真です。
当時の事ですから、たくさんの和紙を大八車に積んで、人力によって運んだのです。何の目的で、どこに運ばれるのか?父によると、高知駅から列車に積みかえて関東地方に送られるという事でした。
ここでシナリオが見えてきました。そうです!日本が敗戦前に窮余の一策として開発した、恐るべき「風船爆弾」の材料だったのです。巨大な紙風船は主に関東地方の映画館の椅子を取り除いて製作されました。和紙は二枚、こんにゃくで作った強力な糊で貼り合わせました。
しかし日本から偏西風に乗って一か月ほどかかってアメリカ本土に到着するまでに、水素ガスが抜け高度が下がるために、風船には爆弾と共に多くの砂袋を積んでいました。高度の低下と共に、船体を軽くするため、砂袋を落として行ったのですが、実はこの砂袋、極秘にされていた発射基地に関連する重大な事件を招く事となるのです。

関製紙工場は本来が平和産業でした。しかし戦局が逼迫してきた1944年
春(終戦の前年)、工場を訪ねてきた二人の軍属の要請によって、この恐るべき計画への参入が決定したのでした。和紙は関東地方だけでは賄えなくなり、薄くて強いことで有名な”土佐和紙”に白羽の矢が向けられたのでした。


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