最近謎の風船体が宮城県の仙台市その他で見られたことが報道されたが、実は私もそれらしい白い風船を目撃した。もうかれこれ10年になろうか、上町の自宅の屋上で空を見ているとき、白い風船が足早に東に向かって流れていった。その高度は約1km。風船の見かけの大きさから実際の直径は5~6m位と想像した。何かをぶら下げているようだったが、遠くて判然としなかった、まるで偏西風に乗って足早に運航しているようであった。

 いやでも戦時中の事を回想した。土佐和紙の製紙工場だった我が家は、軍の命令によって風船爆弾のための和紙を提供するようになった。天才的な発明の風船爆弾だったが薄くて軽く、しかも強靭な和紙こそが風船の材料としてもってこいだったのだ。
 敵の爆撃機も来ないのに、空から突然爆弾が降って来る。アメリカの国民にとって、これはまさに青天の霹靂であって、これほど恐ろしいことは無かった。米軍は全力を挙げてスパイを送り込んで、風船爆弾の製造工場や、その発射場所を特定しようとした。
 風船に爆弾と共に積んでいたバランスを保つための砂袋の砂から、その発射場所は、北関東の海岸であろうと推定した。風船の材料となった土佐和紙は当然工場の密集した高知市の上町もその候補に挙げられた。関製紙工場が時限爆弾によって破壊されようとしたとき、一人の従業員が消えた。確か大阪から出稼ぎにきていた「タナベ」という男であった。

 風船爆弾は関東地方の「陸軍技術研究所」で開発されたらしい。終戦になってここに務めていた「箕輪」と言う将校(天文家出身)に会って話をきいたことがある。終戦になった時、不用になった和紙を沢山リヤカーに積んで運んだという。それにはなんと「関製紙工場」の印があったという。なんという奇縁だったろう。土佐和紙は薄く軽く、そして強靭な性質から障子紙や空に挙げる大凧の材料になったが、風船爆弾とは余計な使い道であったわけだ。

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