6月30日は近くの氏神様のお祭りであった。家から1.5㎞くらい離れた鏡川沿いの森に、氏神様がある。昔はいまと違って賑やかで、遠くまでお祭りの笛や太鼓の音が聞えていた。
 参道に立ち並ぶ夜店も、今のように分かり切った日用品を並べるのと違って、実にバラエティに富んで眺めて歩くだけでも楽しかった。蒼いガスランプの光りや匂い。絢爛たる走馬灯の光。風鈴や吹き矢等の普段あまり目にすることのない商品に心を奪われたものである。それに大きいお祭りでは必ずお化け屋敷があって、夏の夜のお祭りに風情をそえた。

 このころ〈1962年〉、天界でもちょっとしたお祭り騒ぎ?があった。6月30日、倉敷の本田さんが明るい新彗星を発見した。国立天文台でセンターに報告したところ、外国にも発見者があった。国内でも二人目の発見者が名乗り出た。そういう事で、彗星の名は”富田・ゲルバー・本田彗星”という賑やかなものとなった。
 ところが7月に入ってから、静岡県の池谷さんからも同じ星の報告があった。池谷さんからの観測報告を受けた本田さんは驚いた。それは本田さんらが発見した彗星の位置と違っていたのである。本田さんは早速池谷さんに電報を打った。
「ソハベツモノナリ、シキュウテンモンダイニシラセヨ」と。
 こうして発見された、第二イケヤ彗星は、明け方の絢爛たるヒアデス星団の中を悠々と運行していたのである。明るい7等星として、、、、。
 太陽の近くには明るい彗星が沢山いて、われわれの発見を待っている。最近は、それらの多くは太陽界隈を監視する衛星によって捕獲されるが、これとても完璧なものではない。1953年に私が夕空の太陽のそばに見た、短い尾を曳く天体も未確認の彗星だったと思っている。
「嗚呼まぼろしの”関第一彗星”」

(写真:7月上旬、明け方の空に登ってきたヒアデス星団とすばる)

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