俗に「人斬り以蔵」と言われた岡田以蔵(1838-1865)は、土佐勤王党武市半平太の門下。剣術に優れ数々の戦場で武勲をたてた。しかし晩年は肺結核を患い、不名誉な暗殺の罪で役人につかまり、土佐に連れ戻され、がんきり橋でさらし首となった。暗殺に使ったとされる長刀は最近土佐で発見され、私も見た。3尺5寸に余る長刀を見たとき、何か鬼気迫る思いがした。
 また以蔵の墓も高知市比島に残っており、常に花が絶えない。最近は特に人気が出て、墓地は参拝者で賑わっているという。「土佐史談会」の造った道しるべが麓から墓地まで続いている。竹藪の中の閑静な墓地である。
 突然のカラスの鳴き声に、ふと以蔵の気合いの声を聞いたような気がした。


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