私が昔住んでいた上町2丁目9の二階の部屋です。この簡素な部屋で多くの小惑星の円軌道や、彗星の位置予報を計算して世界に発信していました。20才半ばでしたでしょうか。友人もなく、数字ばかりと向かい合った良い時代でした。
机上には今のようなパソコンも測定器もありません。ただひたすら対数表や、天文表(バフシンゲル)と向かい合って、筆記で計算を繰り返していました。小惑星の円軌道には3時間、楕円軌道には10時間くらいかけました。それに彗星の位置推算表を計算することも多くありました。すべてが、私の加入している東亜天文学会の傘下での仕事でした。
数字だけが友だちという孤独な作業でした。夏にはセミやひぐらしが鳴き、蛍が室内に迷い込んでくることもありました。深夜になると遠くを走る列車の音も聞こえました。軌道計算がうまく合わなかったときには憂鬱そのものでした。しかし、検算がぴったりと一致して、良い結果が出たときの気分は、何事にも代えがたい爽快そのものでした。今のコンピューターでの計算のように、一瞬に結果のみが出るのとは違って、計算の過程を確認しながら進行して行くという喜びや楽しみがありました。それは軌道論の倫理をある程度理解しての学問であり、作業だったのです。
こうした修錬の結果が1961年、思わぬ成果を挙げました。10月に発見した新彗星「Comet Seki 1961 T1」の軌道計算を自分でやるという前代異聞?の作業と取り組んだのです。(やっと、天文家らしい仕事が出来た)と言う満足感に浸ったものでした。すべてがこの古い日本間から発信されたものでした。
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机上には今のようなパソコンも測定器もありません。ただひたすら対数表や、天文表(バフシンゲル)と向かい合って、筆記で計算を繰り返していました。小惑星の円軌道には3時間、楕円軌道には10時間くらいかけました。それに彗星の位置推算表を計算することも多くありました。すべてが、私の加入している東亜天文学会の傘下での仕事でした。
数字だけが友だちという孤独な作業でした。夏にはセミやひぐらしが鳴き、蛍が室内に迷い込んでくることもありました。深夜になると遠くを走る列車の音も聞こえました。軌道計算がうまく合わなかったときには憂鬱そのものでした。しかし、検算がぴったりと一致して、良い結果が出たときの気分は、何事にも代えがたい爽快そのものでした。今のコンピューターでの計算のように、一瞬に結果のみが出るのとは違って、計算の過程を確認しながら進行して行くという喜びや楽しみがありました。それは軌道論の倫理をある程度理解しての学問であり、作業だったのです。
こうした修錬の結果が1961年、思わぬ成果を挙げました。10月に発見した新彗星「Comet Seki 1961 T1」の軌道計算を自分でやるという前代異聞?の作業と取り組んだのです。(やっと、天文家らしい仕事が出来た)と言う満足感に浸ったものでした。すべてがこの古い日本間から発信されたものでした。
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