私の祖父、丑郎(母の親)は背が低く若いころから目が悪かった。本人は”鳥目”と言っていたが、昔の事で医者にもかからず、病名は不明だった。視力は0.005位で、夜は盲目同然だった。それでも勤勉な性格でよく働いた。
 家に遊びに行くと、子供相手の講談を聞かせてくれた。冬の夜なんか火鉢を挟んで熱演した。曽我兄弟や、岩見重太郎の仇討ものに、華やかな忠臣蔵。さては阿波の徳島十郎兵衛の哀話に涙したものである。

 そんな時代物の有名な物語の中に、時として自分で体験した不思議な話を語ってくれた。住まいの上町2丁目で、大正年代に蜃気楼を目撃した話もその中の一つだったが、奇怪な人魂や狐火を見た話もおぞましく私たちの胸を刺激した。
 狐火は自宅の二階から目撃されたという。夏になると、北山の中腹にポツンと小さな光がともる。それが飛んで別の山肌にくっついてひかる。その光が消えた頃には、また新しい狐火がともって飛ぶというのである。
 その頃は、家にはテレビもラジオもなく、暗い部屋から抜け出て、外の道路に長椅子を置いて涼んでいた。そんな時近所のお年寄りから、貴重な昔話を聞いた。部屋に独り籠って、孤独にスマートフォンやタブレットをいじくっている今の子供たちとは違った、文化の世界があったのである。

 さて丑郎の不思議な体験である。古く大正時代だった。高知市の東20kmばかりの御免町(今の南国市)に用があって訪れたのであるが、帰りが夜になって乗り物がなくなった。独りとぼとぼと寂しい寝静まった町並みを歩いていると、道の真ん中にポツンと青い光が灯った。そして祖父の足並みと同じ速度で、コロコロと進んで行くというのである。
 急ぐと光も早く転ぶ、立ち止まると、光も停まる。祖父丑郎はてっきり本物の狐火だと思って、急ぎ足に追いかけた。すると光は、いっそう早くコロコロと転んで、とある一軒の農家の雨戸の隙間から、ひょっこりと土間に入ったという。中をのぞくと真っ暗。いきなり大きな声で、「おーうびっくりした!。大きな怪物に追いかけられてやっと逃げてきた!」と夢から覚めたらしく怒鳴っていたという。
 寝ている人の魂が狐火となって、道路を徘徊していたことになるが、これは誠しやかなうまい作り話ではないか?と子供心にも思った。しかし、こうしたお年寄りから聴いた数々の昔話は随分とそれからの人生に役だったものである。それらは学校では習うことのないその土地での歴史であり、これから生きていく上での、貴重な体験でもあったのである。


(写真は孫を抱く丑郎。大戦下の昭和18年頃)

スキャン

にほんブログ村 科学ブログ 天文学・天体観測・宇宙科学へ
にほんブログ村