1986年3月、南半球の孤島イースター島を訪れて、あのモアイの下でハレー彗星の撮影を行なっていたら、「おーい!ハレー彗星を見ているかい。わっしらは千年も昔から何回もお目にかかっているのさ。わっはっは」と、叫んでいるような気がした。ハレ—彗星は76年の周期であるから、モアイが出来て500年も経てば、6回も面会していることになる。
 同じ年の4月、今度はニューカレドニアを訪れ、ナポレオン3世が建てたと言われる、当時、南半球第一の高い建造物であるアメデ灯台の下で、南十字にかかるハレー彗星の絶景を楽しんだ。この見事な構図が、過去何回見られたのだろう?と考えた。

 さて、前置きはこのくらいにして、今回の本舞台である芸西村の天文台に帰ろう。ハレー彗星が近日点を通過する約2年前の1984年9月、私は完成して間もない五藤式60cm反射望遠鏡の下に待機していた。絶好の快晴の下、60センチの筒はハレー彗星の存在すると思われる星座の一角を狙っていた。露出は40分。じっとファインダーの中の十字線を見つめ、ハレー彗星がその間進行して行くはずの方向に、60cmの巨大な筒を微動させて追いかけていった。
 あたりには秋の虫の音がやけに高い。NHKのテレビカメラは、じっと私の姿を捉えてフイルムを廻しつづける。1時間、2時間・・・。一方、東京朝日新聞の記者はペンを構えて、発見は今か、いまかと待機する。

 ハレー彗星の位置は正確にわかっている。問題は彗星がいつ見えるかである。もし見えたら、東洋初発見となる。はっきり見えてからでは遅い。どこかで発見の狼煙が挙がるにきまっている。大事なことは見えないものを見る技術である。過去10個に余る、周期彗星の検出は、全て見えないものを見るという、この特殊な技術が奏功してきたのである。
 
 この日、高松から特別に参加していた女性の詩人は、こんな句を詠んだ。

 会い得たる 愛(いと)しき星よ 虫すだく


 この歌が、当夜のすべてを語っている。そう!ハレー彗星は、すだく虫の音
に誘われるようにして現れたのである。それはハレー彗星発見の、虫たちの祝福の大合奏であった。

 この芸西でのハレー彗星の確認観測は連続して国際天文学連合の会報に発表された。観測光度は20.5等。国内では明けて1985年の2月になって、木曽の大口径シュミットカメラ(国立天文台)が観測に成功した。

(ニューカレドニアの孤島に立つアメデ灯台)

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