ハレー彗星発見のニュースを聞いて、いち早く立ち上がった人の中に埼玉県に住む鈴木健夫さんがいた。もともとギタリストで、自宅でささやかな楽器店を経営していた。その鈴木さんが「ハレー彗星をフォークソングで歌いたいので、作詞してほしい」と言ってきた。関勉作詞、鈴木健夫作曲のソングは、私のギター伴奏で、伊豆半島の伊東市を皮切りに各地で演奏された。鈴木さんはハレー彗星の去った後も長く歌い続けて話題になった。

 一方、ハレー彗星はというと、地上でのそのような騒ぎをよそに、予定されたコースをぐんぐんと進んでいった。そして1986年の4月下旬には南下して日本では見えなくなった。前の1910年には彗星は、太陽と地球の間を通った。しかし今回の出現はどちらかと言うと、太陽のあちら側にあって、われわれから遠かった。そんな中でも最もよく輝いたのは1986年の3月で、芸西では五藤式60cm反射望遠鏡を使って雄大な写真を撮ることに成功した(添付写真)。

 五藤光学の五藤斉三氏は残念ながら、ハレー彗星を2度見ることに失敗したが、生涯常に寄り添ってきた妻の留子さんは、私の誘導によって、芸西の天文台で2度目の対面に成功した。それは奇跡だった。そして世界でも数少ない珍重な記録を打ち立てたのであった。
「ハレー彗星を見るなら、今から40年生きよう!」 それは、私が講演会の時いつも語る言葉である。

(写真は1986年3月のハレー彗星。高知県芸西村の天文台にて)

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