私が天文を始めた頃、こんな見出しで地方新聞に火星の事が報道されていた。ちょうど15年ごとの大接近のころで、内外では多くの惑星の観測者が火星の観測に集中し、観測合戦を繰り広げていた。

 当時はみんなスケッチであった。今のような高感度なCCDカメラは無く火星表面を撮影するのに長時間の露出を必要とした。惑星の表面は高倍率で見ると陽炎が立って常にゆらゆらと揺れているので、観測の方法としては、スケッチしかない。落ち着いて見えた瞬間のシャープな映像を、頭に描いて素早く写生するのである。
 こうした方法でアメリカのローウエルやイタリアのスキャパレルリーは、火星面の複雑な模様の中から、人工的と思われる運河や様々な模様を発見した。

 運河にしても、中には二重になっているものもあり、そのスケールは地球で言えば”万里の長城”に匹敵する大工事であるという。目的は、南北両極の雪解けの水で、砂漠地帯を潤すことにあると言うが、無論アメリカのバーナード博士のように運河説に反対する学者もいた。岡林さんは山本一清博士の指導の下に戦前多くの火星表面のスケッチを行なった。倉敷天文台では当時としては大口径の30cm反射望遠鏡があった。彼はこれを使って1939年の大接近の時、多くの観測を行った。

 ある日山本博士は岡林氏のスケッチの一枚を指さして「オッこれは何だ?まるで人工的な模様ではないか!!」と叫んだ。そこには観測者の岡林氏でさえも自分の目を疑うような奇妙な模様が描かれていたのである。更に驚いたことには、1924年の接近の時にも、外国で観測された一連のスケッチの中に、これによく似た模様があった。ひし形もあった。そして楕円形の中に十の字の模様も発見されたのである。気の早いマスコミは、これら1世紀に登るスケッチを並べて”火星から謎の通信”と言う記事を書いた。元はどうやらアメリカらしく、ご丁寧にその一連の模様を地球人への通信とみなして、それを解読した学者も現れた。とんでもない火星騒ぎであったが、1960年代にアメリカのマリーナ計画によるロケットで、火星を詳しく観察するまでの、火星研究者の大いなる夢物語であった。今年、火星に向かっての多くの計画は、これまでの謎を解明してくれるかもしれない。
 今年の10月には火星がまた接近して来る。その怪しくも赤い火は、我々に大いなる興趣を語りかけてくれるであろう。

(写真は1907年 A.E.ダグラスによる”星型”の最初のスケッチ)

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