大平洋戦争の終結した翌日の8月16日、私たち一家は高知市の米田という父の故郷で生活していた。天皇陛下の玉音放送があって、国民の多くは敗戦を信じていたが、中にはこれを敵の謀略とみて、最後まで戦う決意をきめている者もいた。そうした過激な人たちに、真相を知らせようと、連合国から盛んに短波放送で戦局の事実を伝えようとしていた。そして日本政府がポツダム宣言を受け入れて、無条件降伏が成立したことをB-29による宣伝ビラで報せようとした。

 8月16日の夜10時頃だった。私たちの頭上に「ブルン、ブルン」というあの4発機独特の爆音が響き、突然、ザーッという爆弾の落下する音がしたと思うと、、裏山でカーンという音が響いた。爆弾や焼夷弾にしてはおとなしすぎる。翌日山を見ると一面に宣伝ビラが落ち、あたりは真っ白だった。「日本ノ皆サン 今日ハ私タチハ爆弾ヲ落シニ来タノデハアリマセン 御国ノ政府ガ受託シタ降伏ノ条件ニツイテオ知ラセシマス」という書き出しで、日本がポツダム宣言を受け入れて、無条件降伏が成立したことを詳しく報じていた。

 戦いは敗れたが美しい田園はそのまま残った。”国破れて山河あり”という体(てい)であった。農家の人は相変わらず朝早く野良に出て働いた。夜は一家で夕食の後、ふろに入って寝るだけの生活だった。これが一生続く?幼い心にふと疑問が起こった。(こんなことでいいだろうか?人間としてほかになにかやるべき理想はないのか??)。少年の心にふと起こった人生への疑問である。しかし、なにをやるべきか、その疑問は解けなかった。

 終戦の年も9月になって社会がやや安定してくると、一家は高知市の自宅にかえった。しばらくは大破した家周辺のかたずけに父と共にかかった。製紙工場は全焼していた。日本に「武蔵」や「大和」のような巨大戦艦があったことなど、戦後になって初めて知った。大本営は、不利なことはすべて隠していた。

 終戦の年は夏も秋も良い天気が続いた。学校も軍国主義は消え、平常の授業が
始まった。高知市ではしばらく秋の美しい碧空と夜は星月夜がつづいた。しかし天文学は私の前にはまだなかった。が、やがて星と私との人生での奇跡が起こるのである。

(写真は沖縄近海での戦艦”大和”の最期)

スキャン



にほんブログ村 科学ブログ 天文学・天体観測・宇宙科学へ
にほんブログ村