フランスのポンは19世紀を代表する彗星の捜索家であった。パリの天文台の門番をしながら生涯28個もの新彗星を発見した。このポンがガンバートと共に発見したのが273P/Pon-Gambartである。最も発見当初は、普通のパラボラ軌道の彗星と思われていたが、東京天文台の小倉伸吉博士が、少ない観測の資料から一般的軌道を計算してみると、60年位の周期を得た。発見は1827年であるから、周期が正しければ1890年ごろ帰還しているはずであるが、その後杳として行方が知れなかった。
フローレンスのポンとマルセイユのガンバ—トが発見した時の光度は5〜6等星であった。到底肉眼的な彗星ではないが、最初に小倉氏によって計算されたときの軌道が逆行で、いわゆる海王星族のハレー彗星の恰好に似ていたことから、ある学者が”ハレー彗星並みの大彗星である”との誤った見方を示した。
そのようなことで、長い歴史の中には必ず明るい彗星の出現の記録があると思って東亜天文学会の長谷川氏は、過去に数件のそれらしい大彗星の出現をとりあげた。そして、それらの連結軌道から同じものであるとの同定を発表したのである。
しかし、よく考えて見るとこの彗星は望遠鏡的な小彗星であって、まだ望遠鏡のなかった古代の人が肉眼で発見するはずがないのである。やはり2012年になって遅ればせながらの本物のポン—ガンバート彗星が確認され、それまでの幾つかの彗星の同定は音をたてて崩れた。この研究は外国にまで発表されていたので、いずれ長谷川氏から訂正の説明があるかと思ったが、本人がほうかむりしてしまったので、計算の真相が分からないままに終わってしまった。正しい周期は188年であった。
再発見の知らせが届いたときには芸西の60cm反射望遠鏡は老朽化のため引退していた。それにとり変わった70cm反射望遠鏡が彗星を追跡した。便利なのは今のデジタル式の望遠鏡では、彗星の軌道要素を入力すると、鏡筒は自動的に彗星の固有運動を追尾してくれるのである。こうして速いモーションの微光の彗星は70cm鏡に見事な影を落としたのである。
嗚呼、偉大なポンやガンバートにはもう会えない。しかし彼らの業績の結晶は彗星の輝きとなって、我々の頭上に永遠に輝き続けるのである。
(中央の小さな矢印→で示したのが彗星で点像である。恒星の流れは彗星の固有運動を示す。肉眼では見えない11等級である。2013.03.07。70cm反射 F7.Nikon D-700 。ISO 1600 EXP= 3m、 T.Seki)


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フローレンスのポンとマルセイユのガンバ—トが発見した時の光度は5〜6等星であった。到底肉眼的な彗星ではないが、最初に小倉氏によって計算されたときの軌道が逆行で、いわゆる海王星族のハレー彗星の恰好に似ていたことから、ある学者が”ハレー彗星並みの大彗星である”との誤った見方を示した。
そのようなことで、長い歴史の中には必ず明るい彗星の出現の記録があると思って東亜天文学会の長谷川氏は、過去に数件のそれらしい大彗星の出現をとりあげた。そして、それらの連結軌道から同じものであるとの同定を発表したのである。
しかし、よく考えて見るとこの彗星は望遠鏡的な小彗星であって、まだ望遠鏡のなかった古代の人が肉眼で発見するはずがないのである。やはり2012年になって遅ればせながらの本物のポン—ガンバート彗星が確認され、それまでの幾つかの彗星の同定は音をたてて崩れた。この研究は外国にまで発表されていたので、いずれ長谷川氏から訂正の説明があるかと思ったが、本人がほうかむりしてしまったので、計算の真相が分からないままに終わってしまった。正しい周期は188年であった。
再発見の知らせが届いたときには芸西の60cm反射望遠鏡は老朽化のため引退していた。それにとり変わった70cm反射望遠鏡が彗星を追跡した。便利なのは今のデジタル式の望遠鏡では、彗星の軌道要素を入力すると、鏡筒は自動的に彗星の固有運動を追尾してくれるのである。こうして速いモーションの微光の彗星は70cm鏡に見事な影を落としたのである。
嗚呼、偉大なポンやガンバートにはもう会えない。しかし彼らの業績の結晶は彗星の輝きとなって、我々の頭上に永遠に輝き続けるのである。
(中央の小さな矢印→で示したのが彗星で点像である。恒星の流れは彗星の固有運動を示す。肉眼では見えない11等級である。2013.03.07。70cm反射 F7.Nikon D-700 。ISO 1600 EXP= 3m、 T.Seki)

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