1961年の夏は長かった。今年のように9月に入っても暑い日がつづいた。その中旬だった。急に思いついて昔から計画していた三嶺登山を決行した。三嶺は高知市のはるか東、徳島県との県境に立つ海抜1893mの高山である。自動車道はなく、四国では唯一の大自然の残された山であるという。

 登山を試みた日には台風が接近中であった。有名な「第二室戸台風」である。本来は、そんな危険な時には敬遠するのだが、永い間の彗星発見の希望に破れ、打ちひしがれた心には、そんなことは大した問題ではなかった。自暴自棄とまではいかなくても、私自身の心にムチ打つ修行のつもりであった。
 
 高知市からバスで約3時間、山深い「影」と言う終点でバスを降り、後はリュックを背負って歩いた。地図で見ると「ふすべより谷」のコースは長い渓谷を歩いて約3時間で、雄大な三嶺の麓にたどり着く。風は吹き荒れ小雨は続いた。私は自分自身と戦うような気分で、ただ黙々として登った。幾たびか白い河原の絶景が展開し、ときどき休んだ。風雨は一層激しくなった。

 この時私はふと思った。悪い条件の山道であるが、こうして、登山の努力を一歩一歩続けていくと、いつか必ず頂上に到達する。そこは晴れた美しい楽園かもしれない。私は20歳のころから彗星の捜索を始め、30歳になる今まで努力を続けてきた。そしてついに力尽きて破れた。もしかして発見寸前の大事な時期に立って敗退を余技なくされたのではないか?!

 これは大きな発見であった。深いガスに包まれ、かすむ山頂に立った時、一瞬西空に赤い夕焼けが輝いた。その美しい一瞬の夕雲を見ただけで私の心は翻然と蘇ったのである。(発見の成果はどうでも良い。もう一度、あの美くしい宇宙に挑戦しよう。無念無想という言葉がある。欲望は一切捨てて、ただ一心に宇宙に向かって行くのだ)。この悟りは、登山した最大の収穫であった。”無欲恬淡、名鏡止水”の心に初めて星は輝くのである。

 大きな倉庫を想わせる山頂近くのヒュッテはガランとして誰もいなかった。入口にはこの年の冬に遭難した二人の高校生の真新しい供養碑が立っていた。この広いヒュッテの中で一晩を明かすことになったが、風の音が強くてなかなか寝つかれなかった。門戸を打つ風の音が、亡霊がノックしているようにも聞こえる。
 ふと見ると床に一冊の分厚い登山者名簿がおいてあった。私も早速今日の登山を記録した。そして、何気なくページをめくっていると、ある一点に目が釘付けになった。茫然として私はそのページを見つめた。
(夢か?まさかあの人が・・・!)そこには信じられない人の名が記されているのであった。


(写真は中央の高い山が三嶺。その右の遠山が有名な剣山)

スキャン 2



にほんブログ村 科学ブログ 天文学・天体観測・宇宙科学へ
にほんブログ村