三嶺のガランとしたヒュッテの中に大きな衝撃が走った。第四小学の時、私たちを教え、戦火の大陸で消息を絶ったはずの先生の名がそこにしたためられてあった。「岡本敬一」それは私が3年〜4年生の時お世話になった先生の名であった。
 生まれつき病弱であった私は小学校に入ってもなかなか授業についていけなかった。受け持ちの若い女性の先生は叱るばかりで鬼のように見えた。小学の1〜2年生を無為に過ごした私は、極度の学校ぎらいになっていた。そんな頃3年生になった時、郡部の奈半利小学校から若い男の先生が転任してきた。

 岡本先生は理科が得意であった。教科書ばかしに頼ることなく大自然のお話をした。昆虫が得意で、よく深い山に入って昆虫や植物の新種を発見しようとしていた。石槌山系での山では数々の冒険をしながら貴重な発見をした。あるときなんかは山で見つからなかった昆虫の新種が第四小学の校庭で発見され話題となった。未知なる大自然の中に新しい発見を求めて努力する岡本先生の姿がいつも神様のようにみえた。理科の時間が楽しみになった。授業にはついていけなかったはずの私がいつの間にか目を輝かして先生のお話を熱心に聞いているのであった。

 しかし、楽しかった学園生活は何時までも続かなかった。昭和15年、日中戦争はますます激しくなり、若い岡本先生も従軍して大陸に行く事になった。最後の授業は音楽だった。先生は「私は一人で寂しい時は好んでこの歌を歌っています」と言ってピアノを弾きながら山田耕作作曲の「砂山」を歌って下さった。

 海は荒海向こうは佐渡よ

   すずめ泣けなけもうひがくれる
      みんなよべよべお星さまでたぞ

 北原白秋の素朴な詩が幼い心に染みた。授業が終わると先生はみんなに別れを告げて一人で校庭を歩いて去って行った。みんなは先生の名を呼んで後を追った。そして先生の姿が校門から消えると地面にうずくまって慟哭した。
 岡本先生は、また帰ってきます。と言った。「それまで元気で勉強していてください。」と私たちを励ましてくださった。そんな岡本先生であったが、2度と私たちの前に姿を現すことは無かったのである。

(写真は第4小学校での岡本先生)
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