1960年頃だった。佐川町に工場をもつ石灰製造の会社からギター教室の依頼があった。毎週、土曜日に佐川町の山の上の工場に行って、10人ほどの従業員を指導した。カルカッシの教えに基づくクラシックである。そのギタークラブの代表者が山崎建臣(たてうみ)さんと言って、体格の良い元日本の戦車兵であった。
 ギターのレッスンは順調に続いていたが、ある日会社の社長が私に「あの山崎さんは有名な山崎正光さんの御長男です」と言って、おどろかした。それにしても本人は私に何もそのようなことを言わないので不思議に思った。のち町立の「山崎記念天文台」の台長を務める人である。

 その山崎さんには父、正光さんの事で聞きたいことが多々あった。ある日レッスンが終わった後、山崎さんは28年昔に発見した星を今回の再来で、ご覧になったかどうか質問した。老齢で、視力の低下によって、微光のクロムメリン彗星を見たかどうか心配していたのである。建臣さんはすぐに反応を示し、やや興奮気味に答えた。「関さんから、クロムメリン彗星再発見の電報を戴いたとき、父は極度に興奮していました。そして「わしが見つけた彗星が帰ってきた。あすの朝は観測するんじゃ」と言ってその日は準備をして早くから寝ました。翌朝の4時ごろでした。庭の畑の中の観測台でごそごそしていたかと思うと、急に頓狂な声が響きました。
 「おーい、たてうみ、見えたぞー。余が水沢で発見した彗星が今ここにいるんじゃー」と叫んでいるのです。私はパジャマ姿のままで飛んでいくと、望遠鏡の視野の中になんだか朦朧とした、青い火玉の様な光を見ました。これが水沢の天文台時代に、父が発見した彗星かと思うと大きな感動がこみあげてきました」と語ってくれた。そこには、彗星を追う若き日の父の面影が彷彿として浮かんだ、と言う。
 「そうですか。彗星をご覧になったのですか。私も努力して発見した甲斐がありました。」と応えた。
 建臣さんは、その後、前にも述べた「山崎天文台」の台長に就任したが、数年後不慮の事故で亡くなられた。天文台は台長亡き後も観測会を続けていた。ところが間もなく奇怪な噂が立ち始めたのである。

(30年来の古色蒼然たるコメットシーカーのそばに座する山崎正光翁。)IMG_2161


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