観測会の行われた冬の晩、山の天文台を歩いて降りたはずの台長が帰ってこぬという。関係者は慌てて天文台への山道を捜索すると、狭い道から5mほど下の谷に転落している建臣さんを発見し、大騒ぎとなった。お酒の好きな台長であったが氷点下5度の寒さの中で凍死状態であったという。
 台長を失った天文台では、依然熱心に観測会をつづけていた。ある地元の参加者が観測会の晩「台長に似た人が徳利を持って山から下りてくるのを見ました。”こんばんわ”と声をかけましたが、何も答えずいつの間にやら姿が消えていました」と、ミステリックな証言をした。すると「わたしも見ました。それは台長に似た人でしたが、地元の方ではありませんでした」と証言した。
 まさか台長の亡霊が出るはずはないのだが、その様な噂の中、良き指導者を失った天文台からは自然と人が去っていくようになった。

 一方芸西村の天文台では、ハレー彗星観測以来参加者が多くなりコホーテク彗星やウエスト彗星等、相次ぐ大彗星の接近に多くのファンが熱狂していた。そんなある日、観測会を終えたドームの中で、独りで観測をしていると、幽かな足音が近づいてきた。
 「こんばんわ、関さんはおい出ますか」と、ややしわがれた声がひびいた。この時私は慄然とした。昔、聞き慣れていた建臣さんの声そっくりだった。(芸西にも彼の亡霊が出た!?)。ドアを開けようかどうしようかと迷ったが、度胸を決めてそっと開けてみた。意外にもそこには提灯を持った中年の夫婦らしい二人の男女が立っていた。
 「こんばんわ、佐川町の山崎です。この度、県外に移転することになりましたので、ご挨拶に参りました」と、慇懃な調子で話した。建臣さんの弟さんで、私が佐川町を訪れたとき、時々お会いした方であった。この方は岩手県に移動したのち、山崎正光さんの天体発見賞(ドノホウメダル)を同県の”遊学館”に贈ることになる。1954年山崎さんのお宅で見せてもらった国際的な金メダルが、初めて一般の眼にとまることになったのである。
 
 遊学館は戦前、山崎正光さんが勤めていた国立天文台で、彗星を発見した場所である。こうして高知県には山崎さんの関係者はいなくなった。
 夜空には山崎さんが彗星を発見した獅子座が何事もなかったように輝いていた。あの日から半世紀・・・。ドノホウメダルの輝く限り、山崎氏の栄光は永遠に消えないと思った。

(奥州市の遊学館に展示されている山崎正光氏のドノホウメダルを抱く関勉。)
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