高松市の遙か北、瀬戸内海に浮かぶ大島は風光明美な場所であった。施設の名は正しくは「大島青松園」と言った。海岸から2kmほど北の島に宿舎が幾重にも並んで見えていた。病院らしい建物もあった。しかし、当時はハンセン病が伝染性の強い病気と誤認されていたために、簡単に島に渡れなかった。
しかし、明るいニュースもあった。高知県のある高等学校が、たくさんの野球部員を派遣して、患者のために試合を披露した。このことをきっかけとして、青松園への慰問がふえたらしいが、施設は海の上の光害のない、星の美しい場所にある。「子供のころ見た星座が、島ではとってもきれいに観えます」と言っていた瞳さんの言葉を思い出して、天体観測会を開けば、多くの患者にも喜んでもらえるのではないか、と思ってそのことを瞳さんに提案した。彼女はたいへん乗り気で、さっそく病院の事務局長と相談してみるといっていた。局長は天文に理解があり、当然観測会は実現すると思っていたのである。
ところが、その後、彼女からの便りがパッタリと途絶えた。そして、無為に1ヶ月の歳月が流れた。1971年の初冬、東にオリオンの高く登る頃だった。瞳さんが故郷でオリオン星座を始めて覚えた、と話していたことを思い出していたとき、突然青松園の年取ったと思われる看護師から手紙が届いた。
「......いつも瞳さんのために、お励ましのお便りをいただき、この上なき幸せと存じ居り候。瞳様は兼ねてからの宿痾が高じ、突然にして他界されにし候。臨終にありては、貴方様のお名前を何度か呼ばれながら永眠いたし候。短き生涯でありしが、最後に本人のために、幸せを与えられし貴方さまに、心からなる感謝の念を捧げたく存じ候。かしこ」
瞳さんとは一度も会うことなくすべてが終わってしまった。ただ一つ、彼女の存在を示すものとして、収容所の工房で趣味として刻ったという星を枠組みした”関”の印鑑がある。
(セキ様がいつまでもお星さまに包まれて研究が出来ますようにと、心を込めて彫刻しました・・・」私が時々大事な書面で使用する「関」の印鑑である。
こうして一段落したと思われていたこの事件であるが、それから数年後の芸西天文台で、不可解な事件が発生するのである。
(写真は、冬の夜空に輝くオリオン星座の大星雲。芸西60cm反射望遠鏡で撮影)


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しかし、明るいニュースもあった。高知県のある高等学校が、たくさんの野球部員を派遣して、患者のために試合を披露した。このことをきっかけとして、青松園への慰問がふえたらしいが、施設は海の上の光害のない、星の美しい場所にある。「子供のころ見た星座が、島ではとってもきれいに観えます」と言っていた瞳さんの言葉を思い出して、天体観測会を開けば、多くの患者にも喜んでもらえるのではないか、と思ってそのことを瞳さんに提案した。彼女はたいへん乗り気で、さっそく病院の事務局長と相談してみるといっていた。局長は天文に理解があり、当然観測会は実現すると思っていたのである。
ところが、その後、彼女からの便りがパッタリと途絶えた。そして、無為に1ヶ月の歳月が流れた。1971年の初冬、東にオリオンの高く登る頃だった。瞳さんが故郷でオリオン星座を始めて覚えた、と話していたことを思い出していたとき、突然青松園の年取ったと思われる看護師から手紙が届いた。
「......いつも瞳さんのために、お励ましのお便りをいただき、この上なき幸せと存じ居り候。瞳様は兼ねてからの宿痾が高じ、突然にして他界されにし候。臨終にありては、貴方様のお名前を何度か呼ばれながら永眠いたし候。短き生涯でありしが、最後に本人のために、幸せを与えられし貴方さまに、心からなる感謝の念を捧げたく存じ候。かしこ」
瞳さんとは一度も会うことなくすべてが終わってしまった。ただ一つ、彼女の存在を示すものとして、収容所の工房で趣味として刻ったという星を枠組みした”関”の印鑑がある。
(セキ様がいつまでもお星さまに包まれて研究が出来ますようにと、心を込めて彫刻しました・・・」私が時々大事な書面で使用する「関」の印鑑である。
こうして一段落したと思われていたこの事件であるが、それから数年後の芸西天文台で、不可解な事件が発生するのである。
(写真は、冬の夜空に輝くオリオン星座の大星雲。芸西60cm反射望遠鏡で撮影)


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