あれは戦後間もなくの事だった。私たちの町内では、夏には門前の道路に涼み台を出して避暑を楽しむ習慣があった。当時は家の中にはこれと言う娯楽は無かった。冷房もない洞穴のような暗い座敷でラジオを楽しむくらいで、なんとなく開放的な気分を味わうために外に出た。
あっちにもこっちにも、ざっと20人くらいの人が居た。手に手に団扇をもって話に興じた。
今は一日に数千台の車の通る道路であるが、当時は舗装もなく、一台も通らなかった。
政治や事件。流行の映画や人気俳優の事。そして最後に、頭上に輝く星を見て宇宙人の話になったり。そして22時近くになると、そろそろ夜風が身にしみ出して家に入った。子供たちは、お年寄りから珍重な昔話を聞く良いチャンスだった。
それは夢だったか現実だったのか? ある晩、西の空にほうき星が輝いていた。
彗星は短い尾を上に流していた。だれが見つけたか分からないが、涼んでいる人の多くが初めて見る彗星の姿に「あれよあれよ」と指さし歓声を挙げた。そのとき、父が明治43年のハレー彗星の話をした。「世界の終わりか」という事で町内でも大騒ぎになったという。小学6年生の頃で、受け持ちの坂本重寿先生が彗星について正しい説明してくださったという。
私もある中等学校で坂本先生の教えを受けた。親子2代に渡って習ったが、その坂本先生は、いま芸西天文台を管理している「文教協会」の初代の理事長であった。不思議な縁である。
(写真は1910年のハレー彗星)


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あっちにもこっちにも、ざっと20人くらいの人が居た。手に手に団扇をもって話に興じた。
今は一日に数千台の車の通る道路であるが、当時は舗装もなく、一台も通らなかった。
政治や事件。流行の映画や人気俳優の事。そして最後に、頭上に輝く星を見て宇宙人の話になったり。そして22時近くになると、そろそろ夜風が身にしみ出して家に入った。子供たちは、お年寄りから珍重な昔話を聞く良いチャンスだった。
それは夢だったか現実だったのか? ある晩、西の空にほうき星が輝いていた。
彗星は短い尾を上に流していた。だれが見つけたか分からないが、涼んでいる人の多くが初めて見る彗星の姿に「あれよあれよ」と指さし歓声を挙げた。そのとき、父が明治43年のハレー彗星の話をした。「世界の終わりか」という事で町内でも大騒ぎになったという。小学6年生の頃で、受け持ちの坂本重寿先生が彗星について正しい説明してくださったという。
私もある中等学校で坂本先生の教えを受けた。親子2代に渡って習ったが、その坂本先生は、いま芸西天文台を管理している「文教協会」の初代の理事長であった。不思議な縁である。
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