今日写真で登場したのは、愛知県犬山市の、故「山田達雄」氏である。山田氏は変光星の観測者として世界的に有名であった。愛知県の「一宮高等学校」で数学を教えながら天体観測に没頭した。
 面白いことに彼の先輩で、昭和の初めごろ”クロムメリン彗星”を発見した高知県佐川町の「山崎正光」がいた。二人はおなじ変光星の観測者として、親交があり、長い付き合いであったが、お互いに一度も会ったことが無かったという。

 山崎氏は高知県の海南中学校を卒業すると、単身でアメリカに渡った。カリフォルニア大学在学中に、かの有名な「ハレー彗星」がやって来て、天文に興味を持つようになり、それを観測するために自作した、口径20cmのコメットシーカーは日本に帰ってからも活躍するようになる。山崎さんは、日本で最も早く反射鏡を磨いた人で、引退するにあたって、そのコメットシーカーをそっくりゆずり受けた人が、先に述べた山田達雄氏であった。パラボラ鏡は長い間のガラス材の変化によって、九州の星野次郎氏によって、磨きなおされた、という。

 山崎氏は岩手県の国立天文台時代に27P(クロムメリン彗星)を発見したが、その彗星が28年後に帰ってくるにあたって、山崎氏の引退後の故郷(高知県佐川町)で、捜索と共に、密かにある作業が行われていたのである。そこにいたのは若干24歳の私であった。来るべき彗星の回帰への再発見の秘策が二人で練られていたのである。
 果たして、クロムメリン彗星はあらわれるのであろうか?

スキャン


にほんブログ村 科学ブログ 天文学・天体観測・宇宙科学へ
にほんブログ村