西は茜色の暖かそうな夕雲です。しかし今は今冬最低の気温で、高知市でもマイナス4度の予報が出ています。
「暖かき光はあれど、野に満つる香りも知らず、、、」と言ったところでしょうか。
昔の土佐は寒かったです。夕方から水道は凍りはじめ、観測中の午前3時には氷点下7度にさがったこともあります。午前6時になって、敷島紡績工場の「ピヨーッ」という起床のサイレンが短く鳴ると、それを合図に私は部屋にかえります。しかし逆に大勢の女工さんたちは、これから朝の仕事が始まるのです。昔の事で広い工場内には暖房もありません。糸をつむぐ工場内の空気は悪く、多くの若い女工さんたちは肺結核に侵されて、故郷に帰ったといいます。昔の”国民病”です。
さて、野外で3時間も観測していた手は寒さで完全に感覚を失っています。便利な電気ストーブもない時代で、観測が終わったらすぐに寝るのですが、もしお昼ごろまで寝たとしても体は氷の様です。(ああ、こんな成果の上がらない苦闘の日々を何年続けて来たとことか)。10年続けて敗北した理由が分かると思います。20歳の青年が、うだつが上がらないまま30歳になったのです。「さあこれからもう10年やるのか?」そこには成功へのなんの保証もないのです。自分の信念を信じて決断するのみ。
久しぶりに高知市を襲った寒波は、観測に苦闘した昔の事を思い出させてくれました。
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「暖かき光はあれど、野に満つる香りも知らず、、、」と言ったところでしょうか。
昔の土佐は寒かったです。夕方から水道は凍りはじめ、観測中の午前3時には氷点下7度にさがったこともあります。午前6時になって、敷島紡績工場の「ピヨーッ」という起床のサイレンが短く鳴ると、それを合図に私は部屋にかえります。しかし逆に大勢の女工さんたちは、これから朝の仕事が始まるのです。昔の事で広い工場内には暖房もありません。糸をつむぐ工場内の空気は悪く、多くの若い女工さんたちは肺結核に侵されて、故郷に帰ったといいます。昔の”国民病”です。
さて、野外で3時間も観測していた手は寒さで完全に感覚を失っています。便利な電気ストーブもない時代で、観測が終わったらすぐに寝るのですが、もしお昼ごろまで寝たとしても体は氷の様です。(ああ、こんな成果の上がらない苦闘の日々を何年続けて来たとことか)。10年続けて敗北した理由が分かると思います。20歳の青年が、うだつが上がらないまま30歳になったのです。「さあこれからもう10年やるのか?」そこには成功へのなんの保証もないのです。自分の信念を信じて決断するのみ。
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