観測を続けるのか辞めるのか、がけっぷちに立たされた私ですが、やはり続けました。その頃の私にはそれしか人生での理想はなかったのです。そして、いたずらに”発見”を意識していた私の心は不思議と落ち着き、コメットシーカーに映し出される無類の美しい星空を鑑賞するだけで満足するようになりました。心に迷いも焦燥もありませんでした。そうしたリラックスした心が、彗星の発見に必要だったのかもしれません。
コメットシーカーの有効最低倍率で見る星空は、実に美しいものでした。星団にしても星雲にしても、有名天体は大体星図に出ており観測する多くの方はそれを見て楽しんでいるのですが、実は星図に出なかった星の集団に美しいものがあります。それは、単なる恒星の集団か配列かもしれませんが、そういった隠れた星の美しさまで発見していくのが、彗星の捜索の世界です。コメットハンターこそ、レンズで眺めた星の本当の美しさを知っているのかもしれません。
「ああここにもこんな素晴らしい星団があった!」と感激している時サッと流星が飛びます。視野の中には恐ろしいばかりの複雑な流星痕がしばらく残り、ゆっくりと消えていきます。こんな経験はコメットハンターのみが知る世界です。こうして長い観測の時間が終わったとき、例え彗星が発見出来なくとも、しみじみとした満足感が残るものです。
1961年10月11日、午前5時、屋根の上で望遠鏡を操っていた私の心に遂に待望の彗星が姿をみせました。正に11年目の邂逅でした。7等級の彗星は他に誰も発見者は無く、私のための輝きだったのです。静かな感動の朝でした。
(挿絵は古い屋根の上で一心に星空を見つめる姿を良く描いています。頭上は11年間追い続けたセキ彗星(1961T1)の小さな光芒)


にほんブログ村
コメットシーカーの有効最低倍率で見る星空は、実に美しいものでした。星団にしても星雲にしても、有名天体は大体星図に出ており観測する多くの方はそれを見て楽しんでいるのですが、実は星図に出なかった星の集団に美しいものがあります。それは、単なる恒星の集団か配列かもしれませんが、そういった隠れた星の美しさまで発見していくのが、彗星の捜索の世界です。コメットハンターこそ、レンズで眺めた星の本当の美しさを知っているのかもしれません。
「ああここにもこんな素晴らしい星団があった!」と感激している時サッと流星が飛びます。視野の中には恐ろしいばかりの複雑な流星痕がしばらく残り、ゆっくりと消えていきます。こんな経験はコメットハンターのみが知る世界です。こうして長い観測の時間が終わったとき、例え彗星が発見出来なくとも、しみじみとした満足感が残るものです。
1961年10月11日、午前5時、屋根の上で望遠鏡を操っていた私の心に遂に待望の彗星が姿をみせました。正に11年目の邂逅でした。7等級の彗星は他に誰も発見者は無く、私のための輝きだったのです。静かな感動の朝でした。
(挿絵は古い屋根の上で一心に星空を見つめる姿を良く描いています。頭上は11年間追い続けたセキ彗星(1961T1)の小さな光芒)


にほんブログ村
コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。