小学生の頃は晴れた大空を見上げることが楽しかった。それは全国的に模型飛行機を作ることが大流行したからだ。そしてその大会もあった。ゴム動力の飛行機が上空を飛ぶ時間の長さを競うものであった。私も何回か参加した。飛行機の滞空時間は1分を越した。
人気機種では飛行機の「A-ワン」に、グライダーの「ベビーアルバセストロス」。繁華街に模型飛行機の専門店もあって子供たちの集まる工作室を構えていた。時局がら、学校でも男女を問わず模型飛行機の工作の時間があった。夢は大空に拡がった。今の狭い部屋で、スマートフォンなどの遊びに夢中になる子供たちと違って、遥かに健康的であった。

一方、凧は土佐の一つの伝統でもあった。私の祖父は田舎に住んでいたこ
ろから凧揚げに夢中だった。高知市に移り、製紙業を始めると、早速生産した和紙を張り合わせて大凧を作った。他の職人も手伝った。その大きさたるや、畳4畳半とか6畳の大きさに達する大凧を作った。その軽くて強靭な和紙を張り合わせる技術が、のちの風船爆弾の大風船づくりに応用されたのである。

大凧は高知市、筆山下の広い運動公園で揚げられた。大人二人くらいで操らないと人間が引っ張られる物凄い浮揚力であった。他にも沢山の大小の凧が空高く揚がっていた。凧には時局がら「八紘一宇」とか「武蔵」とかの勇ましい文字や絵が描かれていた。それらの凧が逞しく大空高く揚がる姿は、やがて日本が戦争に突入して行く暗黒時代の、一つの象徴でもあった。

(写真は不気味なオリオン星座の中の暗黒星雲”馬の首”)

うま
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