今から遠く明治時代の出来事である。東京麻布の井上四郎氏の家に仲間3人が集い、屋上の物干し台で天体観測に熱中していた。この中には、有名な天文詩人としての野尻抱影氏もいた。10cmの屈折望遠鏡をのぞいていた井上氏の友人が「あれっ!これは一体なんだ!?」と、頓狂な声を挙げた。麻布の天文台に勤めていた井上氏が変わって見ると、それは見事な尾を引いた彗星であった。明るい3等星である。
 「これは大変なものを見つけた。天文台に報告してくる」と言って急いで出掛けた。野尻氏も初めて見るホウキ星で、その7年後に、世界を震撼させる「ハレー彗星」が出現している。

 折角見つけた彗星であるが、井上氏らの名はつかなかった。なぜならそれはこの年の6月にマルセイユで発見された「ボレリー彗星」だった。軌道傾斜角が85度で、急速に北上し太陽に0.33天文単位と接近した。近日点は8月28日であった。
 のち日本での彗星発見の記録を見ると、報告した井上氏が”独立発見者”になって、本当の発見者は忘れ去られている。井上氏はアマチュア時代はコメットハンターであったが、のち、東京天文台に入って、太陽の黒点観測を担当した。ほかにも彗星の発見はあるが、名前の付いたものは無い。国内最初のコメットハンターと言えるかもしれない。

 このボレリー彗星の記録は、ここ高知県にもあった。数年前になるが、高知県の香美市(旧、土佐山田町)で土佐の歴学者、谷秦山を記念した講演会を開いた。地元ばかりの少ない聴衆であったが、会が終わった後で、一人のご婦人が質問に立った。森本紅玉さんと言って作家でもあるという。なんでも明治時代に、この人の父が夜中に彗星を発見して東京天文台に電報を打ったという。彗星の名を聞かれたがその場ではわからず、後で文献を調べると明治26年のボレリー彗星らしかった。

(写真はNHKのTVで、星の思い出を語る野尻抱影氏。1970年頃)
IMG_2359



にほんブログ村 科学ブログ 天文学・天体観測・宇宙科学へ
にほんブログ村