「鉱石ラジオ」は私が小学生の頃流行したラジオ受信機である。屋根の上に高いアンテナを張り、遠い放送局からの電波を受信器に誘導する。鉱石はアンテナが受けた電波流を、片方しか通さないから、その性質を応用して音声を聞き分けることが出来た。電源は一切必要なく、微弱な電波は大型のレシーバーで聞き取った。暗闇の壕のなかで、空襲に来襲するB-29の動向をこれで知ったから大したものであった。
当時の放送は東京と大阪から発進するラジオの第一放送のみが入った。野球や大相撲などのスポーツはすべて第二放送で、地方では聞くことが出来なかった。NHK高知放送局が中継しなかったのである。
ラジオ工作の夢は更に高まり、中学生になると電池式の短波受信機に進展した。ここでそれまで聞くことを禁じられていた外国からの放送が洪水の如く入ってきた。
「ポツダム宣言」と言う聞きなれない言葉が度々登場し、戦局も大本営が発表する戦果と全く違っていることに気が付き始めた。東京、大阪の被害の様子も外国からの日本語放送で知った。高知市が廃墟となった今、市街の上空にはグラマンF6Fなんかの艦載機の飛来が多くなった。敵の空母が土佐沖まで来ていたのである。
(当時の防空壕の貴重な写真が出てきた。家の中庭に掘ったもので「ボレックス」と言う当時の子供向きの安カメラで撮影したものである。また右は当時の中学生の筆者、学校の制服であるが、時局がら軍服姿である)


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当時の放送は東京と大阪から発進するラジオの第一放送のみが入った。野球や大相撲などのスポーツはすべて第二放送で、地方では聞くことが出来なかった。NHK高知放送局が中継しなかったのである。
ラジオ工作の夢は更に高まり、中学生になると電池式の短波受信機に進展した。ここでそれまで聞くことを禁じられていた外国からの放送が洪水の如く入ってきた。
「ポツダム宣言」と言う聞きなれない言葉が度々登場し、戦局も大本営が発表する戦果と全く違っていることに気が付き始めた。東京、大阪の被害の様子も外国からの日本語放送で知った。高知市が廃墟となった今、市街の上空にはグラマンF6Fなんかの艦載機の飛来が多くなった。敵の空母が土佐沖まで来ていたのである。
(当時の防空壕の貴重な写真が出てきた。家の中庭に掘ったもので「ボレックス」と言う当時の子供向きの安カメラで撮影したものである。また右は当時の中学生の筆者、学校の制服であるが、時局がら軍服姿である)

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コメント
コメント一覧 (1)
戦時中は隣家に兵隊さんが3人常駐していて、防空壕にラジオ受信機があり、B-29の飛行状況を聞くことができました。紀伊水道から入ってきたB-29が明石に爆弾を落とし、当地上空を通過して、さらに姫路にも爆弾を落としていきました。知人はそのB-29を追いかける日本の飛燕戦闘機1機を見たと言っていましたが,戦果はわからなかったようです。
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