1953年11月に発見された「パジュサコバ彗星」は、スカルナテ・プレソ天文台の女性のコメットハンターによる発見であった。ムルコスと共に非常な鋭眼で、同じ10cmの双眼機を使用していた。今回の彗星は北欧では非常に低い南の地平線上にあった。拡散した11等星である。
 そのころ私は、彗星発見に白熱した情熱を捧げていた頃で、口径15cm(F6.3)反射式コメットシーカーを駆使して探しまくっていた。

 彗星の位置は夕方の西南の低空で、なかなか確認できなかった。倉敷では本田さんが観測に失敗し、花山の三谷さんも苦闘していた。15cm鏡で見る彗星は5分角ほどの拡散したコマで、核も中心集光もなかった。なんだか霧のようなイメージであった。計算された近日点距離は、0.07天文単位と小さく、翌年の1月24日に通過することになっていた。
 多くの学者はこの近日点距離の非常に小さなことに目を付けた。はったり屋は「今世紀最大のホウキ星になるかもしれない」とて、大いに喧伝した。OAAの「田上天文台速報」では、開けて1月の暁天に大彗星が輝くと、その雄大な構想図まで発表した。光度は1等星である。

 しかし、この彗星が近日点を通過してから、だれも見た人がいなかった。考えて見ると、発見された時が最大の輝きで、近日点に接近しながら、逆に次第に暗くなっていく、という極めて変わったタイプの彗星であった。結局「パジュサコバ彗星」は宇宙の霧となって儚く消え去ったのである。

 東京天文台の富田氏は、そのころ天文台の20cmブラッシャー天体写真儀を駆使して捜索していたが、チェコでの発見の数日前に、この彗星を偶然撮影していた。その時光度は10等級で十分明るく、幽かな尾を曳いていたという。その観測位置は当然軌道計算のために役立ったのである。この彗星の離心率(e=1)からして、恐らく太陽系を遠くから取り巻く「オルトの雲」あたりから、やってきたものであろう。

(写真は三鷹の旧、東京天文台の20cmブラッシャー天体写真儀にて撮影)

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