1986年4月、ハレー彗星が地球に最も接近した時、それを見るのに最も条件の良い南半球に多くの人が集まった。日本からも特別の飛行機が用意されたが、中には彗星には一瞥もくれずに賭博目的で行く有名人もいた。ニューカレドニアはカジノで有名な場所でもあったらしい。
首都ヌーメアを本拠地として、毎日星の美しい場所に移動して観測した。南十字は高く輝き、大小の「マゼラン雲」も印象的であった。一週間の日程も終わりに近い日、小舟に乗ってヌーメアから西に30kmほど離れた島に向かった。周囲がわずか2kmほどの孤島で、ナポレオン3世の時代に建ったという高い灯台があった。有名な「アメデ灯台」である。
日暮れにはまだ早かった。「アメデ灯台」にかかるハレー彗星を撮影すべく島の北側の砂浜に出てカメラをセットしていると、渚のかなたから二人の中年の婦人が近かづいてきた。「撮影をおねがいします」と言ってカメラを差し出した。私は灯台のある林の方をバックにして撮影すべくファインダーを覗いたとき「ハッ」とした。それは20年前に文通していた双子の姉妹であった。そう!野蒜海岸の女(ひと)だったのである。私は震える手でシャターを切った。
(どちらが手紙の本人だったのか?)二人は私にはまったく気づかなかった様子で「有難うございました」と礼を言って、再び渚を歩いて行った。彼女たちの歩む彼方には、限りない南半球の広い海が横たわっていた。そして、アメデ灯台の上には幽かにハレー彗星の姿が浮かんでいた。
私は小さくなって行く二人の後姿をいつまでも見送っていた。これも、ハレー彗星がもたらした、人間のドラマであった。
にほんブログ村
首都ヌーメアを本拠地として、毎日星の美しい場所に移動して観測した。南十字は高く輝き、大小の「マゼラン雲」も印象的であった。一週間の日程も終わりに近い日、小舟に乗ってヌーメアから西に30kmほど離れた島に向かった。周囲がわずか2kmほどの孤島で、ナポレオン3世の時代に建ったという高い灯台があった。有名な「アメデ灯台」である。
日暮れにはまだ早かった。「アメデ灯台」にかかるハレー彗星を撮影すべく島の北側の砂浜に出てカメラをセットしていると、渚のかなたから二人の中年の婦人が近かづいてきた。「撮影をおねがいします」と言ってカメラを差し出した。私は灯台のある林の方をバックにして撮影すべくファインダーを覗いたとき「ハッ」とした。それは20年前に文通していた双子の姉妹であった。そう!野蒜海岸の女(ひと)だったのである。私は震える手でシャターを切った。
(どちらが手紙の本人だったのか?)二人は私にはまったく気づかなかった様子で「有難うございました」と礼を言って、再び渚を歩いて行った。彼女たちの歩む彼方には、限りない南半球の広い海が横たわっていた。そして、アメデ灯台の上には幽かにハレー彗星の姿が浮かんでいた。
私は小さくなって行く二人の後姿をいつまでも見送っていた。これも、ハレー彗星がもたらした、人間のドラマであった。
にほんブログ村
コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。