ある日、足摺岬に近い幡多郡の大方町を歩いていたら、小さな公民館の前に「漂流物展示会場」の看板が目についた。面白そうなので入ってみると、あまり広くない会場に、ここ大方町の入野海岸に打ち上げられた珍しい漂流物が展示されていた。どこかの異国から流れ着いたと思われるお面やプラスチックのおもちゃ。水筒や船のブイ等があったが、特に目を引いたのは小さな小箱に入ったダイヤの指輪だった。こんな珍しい、しかも高価なものがどうして漂流してきて大方町の海岸に打ち上げられたのか。深い理由がありそうであるが、ケースの極端に傷んだ様子から、長い年月をかけて海原を漂ってきたことがうかがえた。過去、現実にあった物語が浮かんだ。
時は昭和18年の戦時中であった。地元で漁師として働く平石俊太郎のもとに出征の赤紙がきた。俊太郎は大方町の漁師であった。ろくに兵隊としての訓練も受けることなく沢山の兵士と共に船で南方に向かった。俊太郎は結婚したばかりであった。彼の背嚢には妻と交わした結婚指輪が大事に収められていた。輸送船は南方の島に向かっていたが、途中で米軍の潜水艦の魚雷攻撃を受けて、たちまち南シナ海にしずんだ。沢山の兵士も馬も、武器も海の藻屑と消えた。しかし俊太郎の大事に持っていた結婚指輪だけが奇跡的に浮上した。そして数年間海面を漂った末に、ある無人島に打ち上げられた。故郷には俊太郎の戦死の悲報がとどいたが、結婚指輪は無事で島にのこった。
しかしある時、地震による津波が発生して、指輪は再び海を漂う運命となった。俊太郎の魂のこもった指輪は黒潮に乗って故郷の入野の海岸にたどり着いた。それは新婚の妻を慕う故人の強い魂でもあった。
故郷を離れてすでに20年の歳月が流れていた。大方町の海岸に打ち上げられたダイヤの指輪は、地元の漁師が偶然発見して役場に届けた。その噂を聞いた妻も漂流物の展示を見た。余りに変わり果てた姿にそれが夫と交換した指輪であることに気がつかなかった。しかしダイヤの異常な光は妻の心にいつまでも残り、亡き夫を慕う心は、日と共に月と共に強まって行ったという。
大方町の松林と海の美しい入野海岸にも、こんな哀話があったのである。
(長い漂流によって傷んだケースであるが、ダイヤの指輪はだけは変わらぬ光沢を保っていた。)
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時は昭和18年の戦時中であった。地元で漁師として働く平石俊太郎のもとに出征の赤紙がきた。俊太郎は大方町の漁師であった。ろくに兵隊としての訓練も受けることなく沢山の兵士と共に船で南方に向かった。俊太郎は結婚したばかりであった。彼の背嚢には妻と交わした結婚指輪が大事に収められていた。輸送船は南方の島に向かっていたが、途中で米軍の潜水艦の魚雷攻撃を受けて、たちまち南シナ海にしずんだ。沢山の兵士も馬も、武器も海の藻屑と消えた。しかし俊太郎の大事に持っていた結婚指輪だけが奇跡的に浮上した。そして数年間海面を漂った末に、ある無人島に打ち上げられた。故郷には俊太郎の戦死の悲報がとどいたが、結婚指輪は無事で島にのこった。
しかしある時、地震による津波が発生して、指輪は再び海を漂う運命となった。俊太郎の魂のこもった指輪は黒潮に乗って故郷の入野の海岸にたどり着いた。それは新婚の妻を慕う故人の強い魂でもあった。
故郷を離れてすでに20年の歳月が流れていた。大方町の海岸に打ち上げられたダイヤの指輪は、地元の漁師が偶然発見して役場に届けた。その噂を聞いた妻も漂流物の展示を見た。余りに変わり果てた姿にそれが夫と交換した指輪であることに気がつかなかった。しかしダイヤの異常な光は妻の心にいつまでも残り、亡き夫を慕う心は、日と共に月と共に強まって行ったという。
大方町の松林と海の美しい入野海岸にも、こんな哀話があったのである。
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