私の家から遥か南に「鷲尾山」が見える(写真1)。
海抜300mの山であるが、小学生の頃はよく遠足で登った。頂上からの眺めは絶景で、南の眼下に浦戸湾が、そして遠くに名勝、桂浜の髣髴たるを望むことが出来る。実はこの鷲尾山、”関・ラインズ彗星”追跡の舞台となった山である。そして拙著「未知の星を求めて」の冒頭に登場する山でもある。
「未知の星を求めて」は1965年の夏に「高知新聞」に40回に渉って連載した。書き始めから意外な反響があった。担当した学芸部に、次の原稿を見に来るという前代未聞の珍事が起こった。ある若い女性の読者は「もし私が今後の人生で行き詰まるようなことがあったら、もう一度この本を読み返したい」と言った。「未知の星を求めて」は天体発見の記録と言うより、一種の人生読本だったかも知れない。
しかし、今は絶版で入手が困難になっている。1966年の、最初の出版から3回のバリエーションがある。カラー印刷の初版を持って居る人は少ないと思う。天文講演会に行ったとき、この懐かしい初版を持ってくる人がいる。そして話は尽きない。古い天文ファンである。
この本の出版記念会が1966年の5月、東京・千鳥ヶ淵の「フェヤーモントホテル」で開かれた。国立天文台の広瀬秀雄、下保茂両先生や、上野の科学博物館の村山定男先生、更に物語に登場する池谷薫氏にも出席していただいて恐縮した。


海抜300mの山であるが、小学生の頃はよく遠足で登った。頂上からの眺めは絶景で、南の眼下に浦戸湾が、そして遠くに名勝、桂浜の髣髴たるを望むことが出来る。実はこの鷲尾山、”関・ラインズ彗星”追跡の舞台となった山である。そして拙著「未知の星を求めて」の冒頭に登場する山でもある。
「未知の星を求めて」は1965年の夏に「高知新聞」に40回に渉って連載した。書き始めから意外な反響があった。担当した学芸部に、次の原稿を見に来るという前代未聞の珍事が起こった。ある若い女性の読者は「もし私が今後の人生で行き詰まるようなことがあったら、もう一度この本を読み返したい」と言った。「未知の星を求めて」は天体発見の記録と言うより、一種の人生読本だったかも知れない。
しかし、今は絶版で入手が困難になっている。1966年の、最初の出版から3回のバリエーションがある。カラー印刷の初版を持って居る人は少ないと思う。天文講演会に行ったとき、この懐かしい初版を持ってくる人がいる。そして話は尽きない。古い天文ファンである。
この本の出版記念会が1966年の5月、東京・千鳥ヶ淵の「フェヤーモントホテル」で開かれた。国立天文台の広瀬秀雄、下保茂両先生や、上野の科学博物館の村山定男先生、更に物語に登場する池谷薫氏にも出席していただいて恐縮した。


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