1986年4月。南の島ニューカレドニアにはたくさんの観光客が集まった。そして折から接近中のハレー彗星を観望した。
写真は日本から”ハレー彗星号”で到着した人々が、ヌーメアの街の海岸に集まってハレー彗星を見ている写真である。南十字に近い場所であったが、このころのハレーは尾がちぎれた感じだった。3等星であったろうか、じっと見つめて指を差さないとわからなかった。これが大昔なら予報が無いので、たくさんの人々が見逃したであろう。昔の事は分からないが、有史以来こんなに小さなハレー彗星は初めてではなかったかと思う。
このころのハレーは地球から遠かった。3月にすでに近日点を通過していたので、尾そのものも短かったと思う。見かけの尾の方向も悪かった。その後日本に帰って、芸西天文台では長く追跡した。明治30年生まれの父は小学高学年の時、坂本重寿先生の指導の下に昼間のハレー彗星を見たが、彗星の尾の中にあったはずの地球の大気には、何の変化も起こらなかったという。
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写真は日本から”ハレー彗星号”で到着した人々が、ヌーメアの街の海岸に集まってハレー彗星を見ている写真である。南十字に近い場所であったが、このころのハレーは尾がちぎれた感じだった。3等星であったろうか、じっと見つめて指を差さないとわからなかった。これが大昔なら予報が無いので、たくさんの人々が見逃したであろう。昔の事は分からないが、有史以来こんなに小さなハレー彗星は初めてではなかったかと思う。
このころのハレーは地球から遠かった。3月にすでに近日点を通過していたので、尾そのものも短かったと思う。見かけの尾の方向も悪かった。その後日本に帰って、芸西天文台では長く追跡した。明治30年生まれの父は小学高学年の時、坂本重寿先生の指導の下に昼間のハレー彗星を見たが、彗星の尾の中にあったはずの地球の大気には、何の変化も起こらなかったという。
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