1966年、東京に「関記念出版会」という団体を起ち上げて本は全国的に発売されたが、初版を発売して直後、不幸にも印刷所が火災に遭って、そのあとが途絶えた。しかし初版本を読んでからの反響は多くあった。

 当時、愛媛県の女子中学生だった池川博子さんはバレーボール部に所属していたが、
学校の図書室で本を見つけた。格別星が好きであったわけではないが、心を惹かれるものがあって、当時のNHK主催の弁論大会「青年の主張」で”未知の星を読んで”と題して、堂々と弁論した。東京で通訳の仕事をしていた日谷晃三さんは本を読んで、早速高知にやってきた。そして著者である私と名勝、桂浜を歩いて、人生についてお互いに語りあった。

 また東京の新宿に住む青山神春さんは若い女性の詩人であった。本を読んだ後、毎
日の如く詩のような美しい手紙を送ってきた。ある夏の朝、起きると、庭に朝顔が咲いていた。朝の清らかの大気の中でしか咲かない花を尊く思うと書いた。その濃い紫色の花びらから、遠い故郷(紀州)の海の色を連想した、とあった。そしていつの日にか土佐の大自然の残る足摺岬の海を見たい、とあった。その1年後に、彼女からの手紙は突然絶えた。

 私と同じ夢を持って彗星の捜索をやっている方々の多くは、この本を読んでくださった。
香川県の藤川繁久さんは、「未知の星を求めて」を近くの本屋で発見して、熟読した。そして遂には日本を代表するようなコメットハンターになった。また愛知県の高等学校の先生だった森敬明さんは、一晩に二つの新彗星を発見するという快挙を成し遂げたが、彼は観測する時、私の本をしっかりと体に縛り付けていたという。しかし、彼は志半ばで逝去された。その後、私がたまたま徳島市の工業大学に講演に行ったとき、彼のご令息がいて、本人の事をいろいろ聞くことが出来た。「未知の星を求めて」は、奇跡の連続だった。

(写真は、左が1966年の初版。右が1973年の再刊)

未知の星をもとめて



にほんブログ村 科学ブログ 天文学・天体観測・宇宙科学へ
にほんブログ村