拙著「未知の星を求めて」には3回の出版があるが、最初の本を出して間もなくの頃であった。大阪に住む若い女性から手紙が来た。何でも1946年12月の南海大震災に遭遇し、家族も家も失って天涯孤独の身となった。その後、叔父に引き取られて孤独な生活を送っている時、たまたま私の事を本(未知の星を求めて)で知ったという。何回か手紙が来ているうちに、震災で亡くなった幼い弟を供養したいので、これを鏡川の流れに投じてほしい。といって幼い弟への手紙と、お墓の土を送ってきた。

 家は鏡川の下流にあって、幼少のころはよく川に行って、弟を遊ばしたという。3歳だった弟は、鏡川の流れを見て独り手を振って、はしゃいでいたという。川が好きだった幼い弟への姉の思いであった。
 その日は北風の強い冬の日だった。近くの沈下橋から私は手紙を投げた。白い封筒は強い北風に激しく揺れながら、遙か下流へと流れていった。私は静かに手を合わせた。

 これでいったん落着かとおもっていたら、それから数か月経って、また手紙がきた。NHKの「夜のミュージック」と言う番組で、私のギター演奏を聞いたという。彼女も実は高知市在住の時、潮江橋の近くの教室に通っていたという。何と言う事だ!私も同じ教室の門下で、男性ばかりの生徒の中で、紅一点として目立つ彼女を覚えていたのである。私よりもやや年配で、短い会話を交わしたこともあった。時代をさかのぼっての奇遇である。いつも着物姿の彼女は、若い門下生たちの憧れの女(ひと)でもあったのである。そのころは新前だったが、やや成長した私の演奏の姿を、彼女に聞いてもらえたのはうれしかった。「夜のミュージック」には、何回か出たが、その時弾いた曲は多分バッハ作曲の「ロンド風ガボット」だったと思う。

 ヴァイオリンで弾かれる名曲の中には、昔のリュート組曲から抜粋された曲がいくつかある。リュートとはピアノのない時代、よく演奏された楽器で、ギターと同系統の兄弟楽器である。リュートは滅びたが、今はこれらのバッハの名曲をギターで演奏している。重音楽器としてのギターは、バッハの対位法に良く調和する。イ短調のフーガや、ニ短調シャコンヌなどの名曲も、元はリュートのための作品であったという説がある。大変な難曲であるが、ギターはバッハの神髄を発揮するのである。


ギター上
ギター下

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