私の家に近い、鏡川北堤の桜が今日27日、満開となりました。綺麗に石垣の並ぶ長堤で「つきやしき」と呼びます。昔、坂本龍馬が剣道の修行に通った道で、そのころにはまだ桜の木は植えられていなかったと思います。多くの人が散歩やランニングでこの道を通ります。川の南には遠く鷲尾山が見えています。昭和21年の南海大地震の時には、津波が発生しましたが、海岸の連山に阻まれて、直接の被害はありませんでした。しかし浦戸湾は水嵩が増し、下町地区は浸水しました。
終戦直後は暗く、星の美しい空でした。1948年11月、”日食彗星”という明るい彗星が、明け方の空に突然出現して、人々をおどろかせましたが、その彗星の高知市での最初の発見者は、この築屋敷の「山崎」という人でした。当時のラジオで、その目撃談を放送していたことを覚えています。私が一番最初に自作した天体望遠鏡は、実にその「日食彗星」を観測するのが目的だったのです。当時は天文人口は少なく、この彗星の写真は極めてまれですが、東亜天文学会の機関紙「天界」に、京都の花山天文台で撮影された写真が唯一残されています。それは、まるで東の空から西の地平線まで照らすサーチライトです。
日食彗星(1948 V1)は、私が初めて挑戦した、ホウキボシでしたが、残念ながら明確な観測の記録を残すことができませんでした。しかし同時に見ていた私の父は「あれだ!」と叫んで指さしました。それは東南の方角に見える低い筆山の稜線に沿って、伸びる白い光芒でした。1910年のハレー彗星を見た父の経験から判断したようですが、私の描いていた彗星のイメージとは全く異なるものでした。この彗星はカリブ海の上空を飛行していた飛行士の「マック ガン」が初めて発見したそうですが、「それは地上を這う白い雲のようであった」と、報告しています。
(今や満開の桜。高知市築屋敷町2丁目にて・キャノン イクシー190にて撮影)
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終戦直後は暗く、星の美しい空でした。1948年11月、”日食彗星”という明るい彗星が、明け方の空に突然出現して、人々をおどろかせましたが、その彗星の高知市での最初の発見者は、この築屋敷の「山崎」という人でした。当時のラジオで、その目撃談を放送していたことを覚えています。私が一番最初に自作した天体望遠鏡は、実にその「日食彗星」を観測するのが目的だったのです。当時は天文人口は少なく、この彗星の写真は極めてまれですが、東亜天文学会の機関紙「天界」に、京都の花山天文台で撮影された写真が唯一残されています。それは、まるで東の空から西の地平線まで照らすサーチライトです。
日食彗星(1948 V1)は、私が初めて挑戦した、ホウキボシでしたが、残念ながら明確な観測の記録を残すことができませんでした。しかし同時に見ていた私の父は「あれだ!」と叫んで指さしました。それは東南の方角に見える低い筆山の稜線に沿って、伸びる白い光芒でした。1910年のハレー彗星を見た父の経験から判断したようですが、私の描いていた彗星のイメージとは全く異なるものでした。この彗星はカリブ海の上空を飛行していた飛行士の「マック ガン」が初めて発見したそうですが、「それは地上を這う白い雲のようであった」と、報告しています。
(今や満開の桜。高知市築屋敷町2丁目にて・キャノン イクシー190にて撮影)
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