旧、東京天文台の彗星捜索儀が出たら、やはり「ブラッシャー写真儀」が登場せねばなりますまい。口径20cm(F5)の屈折式の天体カメラですが、東京天文台に在って戦前から戦後にかけて縦横無尽の活躍を見せました。
戦前の麻布時代の天文台では、平山清次博士らが、沢山の小惑星を発見し「ニッポニア」とか「アタミ」とかの名前をつけました。

また戦後では本田実氏に代表される彗星発見の確認作業に大活躍しました。キャビネのガラス乾板を使用し、視野が非常に広かったので、予期せざる大流星を撮影したり、また新彗星が発見されると、発見前の写真が出てきたりして大いに貢献しました。

拙著「未知の星を求めて」の冒頭に描かれた「関・ラインズ彗星」はマイナス38度という南天に発見されたのですが、その難しい位置は天文台の下保茂技官によって無事撮影、確認されました。

三鷹の天文台に在って、数々の武勲をたてた天体写真儀ですが、1970年頃、埼玉県の堂平山に91cmの反射望遠鏡が完成すると、天体撮影の多くはこちらに移って、その出番が少なくなりました。19世紀から20世紀にかけて沢山発見された小惑星は、この写真儀程度のカメラが、欧米各地で使用されたものと思われます。

写真は三鷹にあったころの20cmブラッシャー天体写真儀で、見た目には口径30~40cmの大きさに見えます。日本の天体写真界に、一つの歴史を刻んだこの器械も「望遠鏡博物館」に、永久保存して欲しいものです。

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