1952年2月、10等以下の暗い予報の出ていた24P/Schaumasse彗星が北天のおおぐま座で突然肉眼で見えだして驚倒した。まだ若像の彗星の観測者だった私は、所属する東亜天文学会の山本一清博士にその現象を報告した。同じころイギリスの大英天文協会でも、肉眼で観測した人があって、その情報はたちまち世界に広がった。一体暗い彗星の中に何が起こったのか?彗星はその後線香花火のように明滅を繰り返しながら予報のコース上を進んでいった。

 そのころ倉敷天文台の本田さんの後を追っていた私であったが、その直後の6月のペルチャー彗星(1952 M2)の、こぐま座での独立発見(10等)もあって、公に認められるようになった。僅か口径10cmの自作の反射望遠鏡による発見である。1954年8月に、滋賀県の山本天文台で開催された本邦第一回目の「彗星会議」に招かれるようになった。委員会であったが、これは実に新前の私が彗星の観測家として踏み出した第一歩であった。

 山本天文台には博士から招待された約30人の学者や学究が集まった。後で東京天文台に入る古川氏
や斎藤ケイジ氏。商船大学教授の渡辺敏夫博士。本田実氏。この年「ホンダ・ムルコス・パジュサコバ彗星」の初の回帰を発見した、鼻高々の三谷哲康氏(花山天文台)もいた。会議は長谷川一郎氏を司会者として、彗星の発見法や、位置光度の観測法。回帰彗星の軌道計算についても話し合われた。この時話題になったクロムメリン彗星は、幸いにも私がその2年後に発見する幸運に浴することが出来たが、1909年以来56年間も行方不明になっている18D/ペライン周期彗星が未解決のままになっていた。そしてその年の11月、最初の会議からわずか3か月にして、山本博士から緊急の招集があったのである。
 「一体どうしたことであろう?」何か重大な事件が起こったに違いない、と私の胸は騒いだ。

(写真は、山本天文台の46cm反射望遠鏡を操作する山本一清博士。1954年8月第1回彗星会議の日、関撮影)

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