写真は左から池谷薫、関勉、小島信久とならんだ”彗星三羽からす”である。1970年代に、愛知県で「彗星会議」があったころの記念写真と思われる。池谷さんと小島さんは彗星の発見者だけではなく、日本を代表する反射鏡の製作者でもあった。この時池谷さんから頂いた「池谷鏡ナンバー1」の刻印のある10cmの反射鏡は永遠の宝物となった。
 池谷さんと小島さんは、まるで競争でもするように、反射鏡を磨き続けていた。小島さんは私のために、口径40cmを磨いて贈ってくれた。芸西村の天文台に、60cmが出来るまでの約5年間活躍し、5個の周期彗星の発見に貢献した。中でも「ホンダ・ムルコス・パジュサコバ彗星」の、第5回目の出現をキヤッチできたのは幸いであった。この周期彗星検出の作業は、間もなく五藤製の60cm反射鏡に変わって続けていくことになる。

 小島さんは、1970年に写真による新彗星(14等)を発見し、それまでアマチュア
による発見がすべて眼視であった世界に、新しい一石を投じた。この事件が1955年の京都市での「彗星会議」以来16年ぶりの会議の再開となったのであるが、毎年確実に開かれだしてからの記念すべき第一回であった。その後沢山のコメットハンターを輩出するきっかけともなったのである。

 池谷第一鏡は、直接観測することは無いが、時々眺めて池谷さんの魂を感ずる。講演会にも時々持って行って「イケヤ・セキ彗星」発見の話や、友情の話をする。この反射鏡の、美しい光沢が失われない限り、天文への情熱が覚めることは無い。

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