1916年、ロシアのネウイミンによって発見された新周期彗星の25D/1916D1は、一回飛んで1926年に再発見された。周期は5年余りである。それから半世紀近く行方不明となったが、毎回アメリカや日本の神田茂氏によって発見のための捜索予報が発表された。
 そのころ、愛知県一色町の小島信久さんと連絡を取り合って、二人で手分けして捜索することになった。小島氏は31センチ自作の反射望遠鏡で、私は小島さんが研磨した22cmの反射望遠鏡で探すことになった。
 半世紀以上も行方を絶っている。果たして予報通りにうまく現われてくれるかどうか。もし見つかるとしても、近日点通過の誤差が大きいだろうという事で、近日点通過の日のプラス側(遅れる方)を私が、マイナス側(早くなる方)を、小島さんが探すことになった。二人はお互いに彗星のバリエーションに沿って、相当に広い範囲を写真に頼って捜索した。

 二人はお互いに電話でその日の結果を話し合っていた。いつも夜の9時半にかかってくるのであるが、その日は夕刻の早い時刻にかかってきた。「今朝の観測でマイナス5日くらいのところに彗星らしい朦朧とした妖しい影がある」というのである。相談してその発見位置を東京天文台に報告したら、富田弘一郎技官が出て「こちらでも捜索しているが、それは間違いなく問題の彗星であろう」とのことであった。続いて湯河原の彗星研究の大家(元、東京天文台)神田茂氏に報告すると「それはもはや計算するまでもなくネウイミン第二彗星である」という事で、早速に神田氏の学会から速報が出て、ネウイミン第二彗星の再発見として”ネウイミン-小島彗星”として発表されたのである。

 昔のネウイミン2彗星と、新しく発見された「小島彗星」とは角度要素は非常によく似ていた。ただ離心率がやや違い、そのために周期が合わなかった。何と言っても半世紀以上も、行方をくらませて宇宙を彷徨していた彗星である。そのくらいの狂いは当然で、むしろ合いすぎているとさえ思っていたのである。
 その時、登場したのがOAAの計算課長の長谷川一郎氏である。この二つの彗星をチェスランの判定式にかけて見ると、一致しないという事になった。またアメリカのマースデン博士も、木星の質量を故意に変えてみて計算を試みたが、やはり合わなかったという。
 ”ネウイミンⅡ彗星は消えて、小島彗星が残った” この両者を同じものと考えたらすべての謎も氷解するのであるが、ネウイミン第二彗星は永遠に消えて、新しい小島彗星は、その後、毎回観測されているのである。明るい小島彗星の過去も全くないのもおかしい。
 ネウイミンⅡ彗星の過去の軌道をたどると、ある年、木星に異常に接近したらしい。この時我々にはわからない力学的な何かの影響によって、予想もしなかった方向に軌道が狂ったのではないか?と考えて見たくなるほど、よく似た二つの彗星である。
 小島さんはその後1972年にも写真で新しい彗星を発見した。それは、その後のアマチュアの写真観測の先鞭を打つものであった。

(写真は、自宅で40cmの反射鏡を研磨する小島信久氏)

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