愛知県一色町の、小島信久さんの研磨した反射鏡は独特の切れ味があった。回転放物面という完全な放物面鏡は、画面の周辺にかなりのコマ収差が見られるものだが、私が彼から頂いた40cm鏡は、極めてよく出来ていたようで、コマ収差もほとんど目立たなかった。これ以上の尖鋭な像は得られないと思うほどに中心から周辺にかけてシャープそのものであった。これには何かの秘密があるに違いなかった。
前にも述べた「ホンダ・ムルコス・パ彗星」ほかの周期彗星の検出に活躍したが、恒星が僅かに滲んだような彗星のイメージは、鏡が優秀でないと判別できないものである。
そのころは、度重なる「彗星会議」等の影響で、新彗星が国内でも多く発見されるようになって、その確認観測に活躍した。1975年7月に発見された「小林・バーガー・ミロン彗星1975N1」の国内での最初の確認観測を行ったが、ピントは極めてシャープで、コマ収差もほとんど目立たなかった。芸西の望遠鏡はその後60cmF3.5、70cmF7と変わっていったが、この小島鏡に勝るものは無かった。そのシャープな秘密について聞きたかったが、その後小島さんとはなかなかお会いするチャンスが無かった。
高知にも来られ、有名な龍河洞に案内したことがある。暗い地底の鍾乳洞の中を歩きながら語り合った。鍾乳洞の柱は、洞窟の天井から1cm下りるのに数千年かかる。天体の観測も鏡の研磨も1朝にしてできるものではないことを語り合った。その後、小島さんからは最近の数年間は、便りさえもなく、心配していたが、先年お亡くなりになったことを知り驚いた。国内での第1回目の愛知県での彗星会議の司会も務められた。
小島さんから頂いた40cmの秘密の名鏡は、立派な置台をつくり、芸西天文台の展示室に輝いている。見学者は、鏡の輝きに何を想うのであろうか。
(写真は小島鏡で撮ったC/1975 N1、40cm鏡で5分間の露出。6x7cmフルサイズからの引き伸ばし)
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前にも述べた「ホンダ・ムルコス・パ彗星」ほかの周期彗星の検出に活躍したが、恒星が僅かに滲んだような彗星のイメージは、鏡が優秀でないと判別できないものである。
そのころは、度重なる「彗星会議」等の影響で、新彗星が国内でも多く発見されるようになって、その確認観測に活躍した。1975年7月に発見された「小林・バーガー・ミロン彗星1975N1」の国内での最初の確認観測を行ったが、ピントは極めてシャープで、コマ収差もほとんど目立たなかった。芸西の望遠鏡はその後60cmF3.5、70cmF7と変わっていったが、この小島鏡に勝るものは無かった。そのシャープな秘密について聞きたかったが、その後小島さんとはなかなかお会いするチャンスが無かった。
高知にも来られ、有名な龍河洞に案内したことがある。暗い地底の鍾乳洞の中を歩きながら語り合った。鍾乳洞の柱は、洞窟の天井から1cm下りるのに数千年かかる。天体の観測も鏡の研磨も1朝にしてできるものではないことを語り合った。その後、小島さんからは最近の数年間は、便りさえもなく、心配していたが、先年お亡くなりになったことを知り驚いた。国内での第1回目の愛知県での彗星会議の司会も務められた。
小島さんから頂いた40cmの秘密の名鏡は、立派な置台をつくり、芸西天文台の展示室に輝いている。見学者は、鏡の輝きに何を想うのであろうか。
(写真は小島鏡で撮ったC/1975 N1、40cm鏡で5分間の露出。6x7cmフルサイズからの引き伸ばし)
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