「ホンダ彗星」C/1955 O1が発見されたのは、日本時間の7月30日(今日)の午前4時でした。東南の空に低くオリオン星座が見えていました。実は私も上町の自宅の観測台で夜明け前のオリオンをじっと見つめていました。

このころの本田さんは、旧、広島県瀬戸村の観測所で熱心に捜索を続けていたのでした。望遠鏡は、それまでの反射望遠鏡から一転して口径10㎝の双眼望遠鏡に変っていました。そして床がモーターでゆっくりと回転する仕掛で、本田さんは、その上の椅子に座っているだけで、水平に移り変わっていく星座の観察が出来たのでした。

この便利な仕掛けが奏功してオリオン座の南に発見したのが「本田第三彗星」だったのです。写真は、本田さんが最後に自作し使っていたコメットシーカーで、今は倉敷市の科学館に展示されています。

さて、本田彗星は発見後、次第に地球に接近して5等級となり、双眼鏡で幽かに観測できるようになりました。翌8月には花山天文台で「彗星流星会議」が開かれ、本田さんの新発見が大いに話題になりました。本田さんの数ある発見の中で、一番明るかった彗星です。

しかし余談があります。新天体が発見されると内外の天文家が軌道計算し、それの今後の位置や光度の予報を発表するのですが、日本のある計算家が誤った計算を行い、同年の8月にマイナス7等級(半月の明るさ)になると予報しました。これが多くのマスコミの知るところとなり、ラジオや新聞紙上で大いに喧伝されました。関係者の不用意なマスコミへの発表が仇となって、多くの市民を惑わす結果となりました。

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