1968年5月1日の早暁、多くの日本人によって明るい彗星が発見された。星の名は、「多胡-本田-山本彗星」(1968 H1)である。このころは、プロの大型望遠鏡による全天の計画的な捜索が、それほど盛んに行われていなかったので、太陽の近くにやって来て、急に明るくなって眼視的に発見されるケースが多かった。正にアマチュアの天下で、多くが口径15cmくらいの反射望遠鏡だった。それぞれ工夫を凝らした、自作のいわゆるコメットシーカーである。

 見つかった彗星は明け方のアンドロメダ大銀河の少し西で、6〜7等級であったように思う。最初に見つけた多胡さんは岡山県津山市の人。二番目の本田さんは有名な倉敷天文台。三番目の山本さんは高知県南国市のハンターで突然のデビューである。1965年の「イケヤ・セキ彗星」に刺激されて捜索をはじめたとのことであった。
 発見者が多い場合は、3人目まで命名が認められることになっている。後は独立発見者となって、彗星に発見者の名はつかない。しかし、最初発見から僅か5分、10分の遅れであるから、実質的に発見の価値は劣らない。この様な例は、過去に沢山ある。世界中が対象になるので、そのころは、アメリカのスミソニアンにある、国際天文電報中央局がその任に当たっていた。

(写真は倉敷天文台提供)

名称未設定


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