宝塚市にお住いのご婦人S.Fさんから、知覧のお茶が贈られてきた。93歳になるという彼女は天文学に興味があるらしく、先日高知県の香美市が小惑星に命名されたことについて”おめでとう”を言って来られた。昔なつかしい便箋に紫のペン字と言う達筆。今の簡素なメールのやり取りと違って、手紙には重みがあり、誠意が感じられる。書き方によって、その人の人格が感じ取られる。しかし今回私が特に注目したのは、戦時中、彼女は「女子挺身隊」の一員であったことである。終戦のころには、私は旧制中学「5年制」の低学年であったが、上級生は、都会の軍需工場で働き、女子は一部、挺身隊員として、出撃兵を見送っていたのである。

 昔のブログでも語ったが、私の小学時代の上級生に「アイちゃん」と呼ばれる餓鬼大将がいた。おなじ小学校に通っている子供たちを集めての”悪事師”であった。そのアイちゃんが高等小学校から飛行士になることを夢見て「乙種飛行予科練修生」として合格し、霞ケ浦で訓練を受けた。太平洋戦の逼迫する折から特攻隊を志願して、鹿児島県の知覧の飛行場に配備させられた。

 1945年の6月、彼は特攻隊機に乗り込んで出撃した。一列に並んで見送るもんぺ姿の元気な女子挺身隊の旗の波に応えて、愛機ゼロ戦の翼を左右交互に上下して応えながら、飛行機は飛び立ち、南海の雲間に消えた。
 このくだりは昔のブログに語った。片道切符の燃料しか積んでいない特攻機は、絶対に生きて帰還することは無かった。この特攻隊員を見送ったけなげな挺身隊員の一人と、今回コンタクトが取れたことはうれしかった。送られてきた知覧のお茶は、きっと特攻隊員も愛飲して別れの杯としたことであろうと思った。

 特攻隊員のアイちゃんは、出撃する前日、上官の特別の許可を得て故郷、高知市上町の上空を別れの旋回をした。かつての餓鬼大将としての数々の思い出の残る町の空であった。母校である第四小学校の懐かしい校庭も見えた。しかし、ここで奇怪な事件が起こったことは前にも語った。南海で特攻隊員として壮烈な死を遂げたはずのアイちゃんを、その1ケ月後に私は見たのである。それは、太平洋戦も終結が近くなった1945年の7月の事であった。幻か現実か? 私は学徒動員で、桂浜の本土防衛のためのトーチカの作業に向かう巡行船の中で、 私はアイちゃんの亡霊を見た!? そのナゾが解けたのは終戦になってずっと後の事であった。

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