私が初めて望遠鏡を作ろうと思ったのは1948年の秋、日食彗星(俗にマックガン彗星1948Ⅺ)が出現したときでした。なにしろ突然の大彗星の出現で、名月で有名な筆山の空に大きな虹となって架かりました。
望遠鏡を作ると言っても間に合わず、街には専門店もなく、急遽虫眼鏡を応用した小さな単眼鏡をこしらえて挑戦したことを記憶しています。しかし、その頃には日本から見えない空に南下していたのでした。
いま芸西天文学習館では、夏休みの特別行事としての小さな天体望遠鏡作りが大流行しています。レンズは4㎝位の小さな玉ですが、当然色消しレンズでなかなか良く見えます。2000円くらいの組み立てキットですが、ちゃんとした設計図もついています。器用な人は完全な自作が出来ますが、講師が3人ついていて指導しますから落ちこぼれになることはありません。夏の長い日が落ちると惑星や月が待ち構えていて、絶好の観測の対象となります。
しかし私たちの時代は違っていました。町は終戦後の廃墟が残り、物資の乏しい時代でした。望遠鏡はもとより、その部品でさえ売っている店がありません。望遠鏡の設計図を引くことから自分で考えました。対物レンズは古い使い捨ての老眼鏡の玉を利用しました。そして接眼レンズは虫眼鏡を2枚重ねて応用しました。誰にも習わず、苦心してこしらえた望遠鏡を、初めて宇宙に向けたときの感激は、嗚呼一生で一番大きな感動でした。
教室で先生に習いながら作った望遠鏡は一回限りの経験で、忘れ去られて行くでしょうか?永久に天文愛好家になって欲しいという指導者の願いは叶うのでしょうか。私はあの頃の苦労した経験が元となって天文家の道を歩み、そして未知なる彗星発見の世界に入って行ったのでした。子供のころ培われた堅忍不抜の精神をもって。
(写真は初めて作った天体望遠鏡の図)


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望遠鏡を作ると言っても間に合わず、街には専門店もなく、急遽虫眼鏡を応用した小さな単眼鏡をこしらえて挑戦したことを記憶しています。しかし、その頃には日本から見えない空に南下していたのでした。
いま芸西天文学習館では、夏休みの特別行事としての小さな天体望遠鏡作りが大流行しています。レンズは4㎝位の小さな玉ですが、当然色消しレンズでなかなか良く見えます。2000円くらいの組み立てキットですが、ちゃんとした設計図もついています。器用な人は完全な自作が出来ますが、講師が3人ついていて指導しますから落ちこぼれになることはありません。夏の長い日が落ちると惑星や月が待ち構えていて、絶好の観測の対象となります。
しかし私たちの時代は違っていました。町は終戦後の廃墟が残り、物資の乏しい時代でした。望遠鏡はもとより、その部品でさえ売っている店がありません。望遠鏡の設計図を引くことから自分で考えました。対物レンズは古い使い捨ての老眼鏡の玉を利用しました。そして接眼レンズは虫眼鏡を2枚重ねて応用しました。誰にも習わず、苦心してこしらえた望遠鏡を、初めて宇宙に向けたときの感激は、嗚呼一生で一番大きな感動でした。
教室で先生に習いながら作った望遠鏡は一回限りの経験で、忘れ去られて行くでしょうか?永久に天文愛好家になって欲しいという指導者の願いは叶うのでしょうか。私はあの頃の苦労した経験が元となって天文家の道を歩み、そして未知なる彗星発見の世界に入って行ったのでした。子供のころ培われた堅忍不抜の精神をもって。
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