100年以上の歴史を持つ第四小学校は、その校区に「坂本龍馬」の誕生の地を持っていることが誇りの一つであった。私も昭和期の卒業生の一人であるが、高学年では過酷な戦時下を経験した。一階建ての古い講堂は、その伝統ある長い歴史を物語り、校庭に立つ高い銀杏の木は、その崇高な教育のシンボルでもあった。
第四小学校からは、その長い歴史のうちに偉い政治家や軍人、そして芸術家を輩出したが、中でも第二次大戦下に特攻隊を志願して南海に消えて行った人が何人かいた。先回語った「愛ちゃん」も、その一人で本名は「細木愛吉」といった。学校や町内では「餓鬼大将」としてほたえた(騒ぐ)が、どうした心境の変化であろうか、卒業して高等小学校に進むと飛行兵になる事を志願したのだった。
こうして長い訓練の末に特攻兵を志願して鹿児島の知覧にやってきた。特別の訓練を受けながら「女子挺身隊」の献身的な世話になった。その挺身隊の一人に敬愛する人がいた。それは恋というにはあまりにも冷静であったが、不思議なもので何も語らなくても2人はお互いに愛を意識していた。そしていよいよ飛び立つ日、見送る挺身隊の旗の波に向かって「アイシテイマシタ、オゲンキデ」と、手旗信号で最後の言葉を送ったのである。
こうして「愛ちゃん」は特攻機もろとも南海に散ったのであるが、それから1年後、実に奇怪な事件が起こったのである。
(写真は第四小学校の古い講堂と、銀杏の木)
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第四小学校からは、その長い歴史のうちに偉い政治家や軍人、そして芸術家を輩出したが、中でも第二次大戦下に特攻隊を志願して南海に消えて行った人が何人かいた。先回語った「愛ちゃん」も、その一人で本名は「細木愛吉」といった。学校や町内では「餓鬼大将」としてほたえた(騒ぐ)が、どうした心境の変化であろうか、卒業して高等小学校に進むと飛行兵になる事を志願したのだった。
こうして長い訓練の末に特攻兵を志願して鹿児島の知覧にやってきた。特別の訓練を受けながら「女子挺身隊」の献身的な世話になった。その挺身隊の一人に敬愛する人がいた。それは恋というにはあまりにも冷静であったが、不思議なもので何も語らなくても2人はお互いに愛を意識していた。そしていよいよ飛び立つ日、見送る挺身隊の旗の波に向かって「アイシテイマシタ、オゲンキデ」と、手旗信号で最後の言葉を送ったのである。
こうして「愛ちゃん」は特攻機もろとも南海に散ったのであるが、それから1年後、実に奇怪な事件が起こったのである。
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