戦局も次第に悪化してきた昭和20年の春、学徒動員で小さな巡行船に乗って桂浜に向かっていた私は、船上で妙な光景を見た。それは桂浜から反対に高知港に入ってくる軍の舟艇らしい船とすれ違う時、乾板から一人の兵士が両手に赤と白との旗を持って、盛んにこちらの船に向かって手旗信号を送っていた。信号の内容はよくわからなかったが、それが終わると、今度はこちらの船のデッキから、一人の青年が素手で信号を送り返し始めた。

 当時は時局がら学校でも手旗信号が大流行で、ほとんどの人が出来るようになっていた。青年の返している手旗信号を見ているとき、私は「ハッ」とした。それは「愛ちゃん」そっくりだった。後ろ姿であるが、ややボラ頭風の格好は”愛ちゃん”に違いなかった。特攻隊で知覧の基地から出撃し、南海に散ったはずの「愛ちゃん」が、今ここにいる。私は夢ではないか?と思って自分の眼を疑った。

 やがて船は桂浜に近い「みませ」の岸壁についた。私は愛ちゃんに会いたいとおもって急いで降りたが、あまりにも人が多く、遂に彼の姿を見失った。桂浜で関東軍の兵士たちに交って作業をしながら、先刻見たイメージが脳裏から容易に離れなかった。
 知覧の特攻基地から沢山の女子挺身隊の人たちに見送られて出発した愛ちゃん。男と生まれて最高の感激の場面だったはずだ。愛ちゃんは沖縄の戦線で自爆した。ところが不思議な事件がまたも起こった。事件と言うよりこれは奇跡である。

 ごく最近になって、知覧の基地で特攻隊員を見送ったという女子挺身隊の一人から手紙を戴いた。まさか「愛ちゃん」の心の人ではないと思うが、宝塚市に住む93歳の藤節子さんだった。あの時の女子挺身隊の一人だった彼女は、思い出を語るとともに、知覧の銘茶を贈って下さった。昔、愛ちゃんの事はこのブログに書いたことがある。(もしかして彼女は”愛ちゃん”の心の人ではなかったか?、、、、)そんな事を想いながら、私は知覧の銘茶を口にしていた。

(写真は昭和19年。浦戸湾を行く当時の巡行船。)

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