拙著「未知の星を求めて」が、再び陽の目を見ようとしています。1965年9月、高知新聞の学芸欄に40日間にわたって連載されたものです。最初は編集部にも読者にも、ただの星の本と思ってあまり重要視されていませんでしたが、連載が始まると意外な反響がありました。アメリカのナショナル・ジオグラフイックソサイティ誌から依頼されて、発見物語を書きました。その時、同社の副社長、トーマスMビーアスさんが日本に持ってきた彗星の見事な写真が、その後多く使われました。これがすべての基本の写真です。同社から特別の許可を戴いて「未知の星を求めて」の表紙につかいました。
彗星の一番明るい頃で、同社のカメラマンが、ワシントン郊外に出張して、10月30日の暁に撮影したものです。写真の横は私の発見記です。「私は海育ち、、、、」という書き出しが面白いでしょう。最後は妻と山に登って、健在だった彗星と対面するところで終わっています。そうです、摂氏100万度といわれる太陽コロナの中をくぐってきた、奇跡の彗星との再会です。
今、この本が高知新聞社によって再版されることになり、結成された一般の多くの編集委員の方々の大変なお世話になっています。発行は、イケヤ・セキ彗星発見の9月19日です。


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彗星の一番明るい頃で、同社のカメラマンが、ワシントン郊外に出張して、10月30日の暁に撮影したものです。写真の横は私の発見記です。「私は海育ち、、、、」という書き出しが面白いでしょう。最後は妻と山に登って、健在だった彗星と対面するところで終わっています。そうです、摂氏100万度といわれる太陽コロナの中をくぐってきた、奇跡の彗星との再会です。
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