古い家に住んでいた頃の昔は、「七夕」は旧暦の7月7日に祭ることが習慣だった。母にすすめられて庭に2本の竹を立て、なすびやキュウリなどのお供え物を添えて、短冊を飾った。今の暦の8月中旬ごろで、梅雨は完全にあけて、空には一面の星。夜風に願い事を書いた色とりどりの短冊が「さらさら」と鳴って、まるで「天の川」のせせらぎの音を聞いているようだった。
織女星と牽牛星は共に青く輝き、南天には半月に近い月があった。家の中庭に涼見台を置き、一家で星を眺めて昔話を老人から聞いたりした。その昔話には町に伝わる歴史的な重要な話もあった。おじいさんが従軍していた頃の日露戦争の話も聞いた。本では出版されない大切な歴史もあった。しかし、今の子供たちは独り部屋にこもってしまって、スマートフォンなんかをいじくって一家団欒の場が少なくなった。
こうした老人の話には学校では習わないような貴重な話もあったものだ。外の町では、近所の老若男女が涼見台に腰を下ろして、珍しい昔の話に興じたものだ。
こうしたお年寄りの話に、むかし高知市で蜃気楼が輝いたことや、あかるいホウキボシが出たこと(多分ハレーすい星)や、私の家系で書道の名人がいたことなど、初めて聞いた。書家は36歳で亡くなった「琴堂」という幻の人だったらしい。
(写真は1980年、七夕の夜。ハワイ マウナ・ケアのスバル天文台の上に輝くボタン雪の様な星。35mmカメラ50mm標準レンズにて5分露出。関)
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織女星と牽牛星は共に青く輝き、南天には半月に近い月があった。家の中庭に涼見台を置き、一家で星を眺めて昔話を老人から聞いたりした。その昔話には町に伝わる歴史的な重要な話もあった。おじいさんが従軍していた頃の日露戦争の話も聞いた。本では出版されない大切な歴史もあった。しかし、今の子供たちは独り部屋にこもってしまって、スマートフォンなんかをいじくって一家団欒の場が少なくなった。
こうした老人の話には学校では習わないような貴重な話もあったものだ。外の町では、近所の老若男女が涼見台に腰を下ろして、珍しい昔の話に興じたものだ。
こうしたお年寄りの話に、むかし高知市で蜃気楼が輝いたことや、あかるいホウキボシが出たこと(多分ハレーすい星)や、私の家系で書道の名人がいたことなど、初めて聞いた。書家は36歳で亡くなった「琴堂」という幻の人だったらしい。
(写真は1980年、七夕の夜。ハワイ マウナ・ケアのスバル天文台の上に輝くボタン雪の様な星。35mmカメラ50mm標準レンズにて5分露出。関)
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