昭和20年(1945)8月15日の終戦は奇妙な場所で迎えました。
 当時7月4日の高知市大空襲で、上町の家は崩壊し、私たち一家は高知市に近い朝倉の米田の親戚の家に疎開していました。父の故郷です。中学2年生だった私は、当時の学徒動員という事で学校には通わず、関東軍の指揮の下、土佐湾の海岸に近い山で本土決戦のための作業をしていました。山の横穴掘りです。
 アメリカの艦載機グラマンF6F(ヘルキャット)が、突然、超低空に現れて、機銃掃射を行う危ない中、軍のトラックに乗ってたくさんの学生と、高知市の北の比島山にのぼって、機密の作業をしていました。その日の午後、突然終戦の放送があったのですが、その場所が偶然にも日本の古い天文学者、川谷薊山の日食を観測した記念の場所でした。

 当時は低い山頂に無人の神社があって「川谷薊山日食観測の地」という小さなメモリアルが
建っていました。有名な宝暦13年の9月1日の日食で、幕府の天文方と争った事件です。正午前の九天に、見事な黒い太陽が描かれて、薊山の勝利となったのですが、この時、日食の予報に使ったとされている渾天儀が今も山内家に残されているそうです。 

 第四小学校で、岡本先生の教えを受け、異常なほどに大自然に興味を持った私でしたが、その
後、天文との出会いがたびたび起ころうとしていました。そして本格的な天文学への誘いは1947年、終戦直後の暗澹たる空からやってきたのでした。

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