昭和20年、終戦の年は今年の夏と違って異常なまでに晴天が続きました。
 終戦の詔勅が放送で流された後も、高知県に駐留する関東軍の兵士たちは、それを知らされずに黙々と働いていました。私たちの疎開していた農村でも、日本の敗戦が信じられない、という人が多くいました。
 8月16日の夜中でした。爆撃機B-29の、あの特色のある4発エンジンの「ブルン ブルン」という不気味な爆音が、頭上で響いたと思うと、突然ザーという爆弾の落下してくる音がして、裏山で「カーン」という乾いた音が木霊しました。爆弾にしては変です。
 翌日山を見ると、まるで雪でも降ったかのような白一面です。それは宣伝ビラでした。敗戦を信じない多くの日本人のために投下さたれたもので、内容は、日本の政府が”ポツダム宣言”を受け入れて、終戦が成立したことをかなり詳しく報じていました。

 こうして、敗戦後の混乱がやや落ち着きかけた昭和20年の9月に、私たち一家は上町の自宅に帰って
、わずかに焼け残った民家で生活するようになりました。しかし、翌年の昭和21年12月、敗戦で疲れ切った市民に追い打ちをかけるように、南海道大震災が発生し、高知市の焼け残った多くの下町は全滅しました。安政元年の大震災から、そろそろ100年。周期性を持って訪れる大地震ですが、戦中の事もあって全く予知も防備もありませんでした。
 私の天体観測は、こうした重なる大きな災難の後に芽生えたものでした。

(写真は昭和20年6月、沖縄海域での”戦艦大和”の最期)

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